「社会人として通用するような…」父親が監督に伝えた言葉
この年の12月に桐光学園の野呂雅之監督と行った進路面談でこう伝えた。
「高校を出て社会人として通用するような人間性を基準にしてください」
何よりも息子の“心の成長”を重んじての言葉だった。
裕樹が最終学年となった翌年5月の進路相談会では野呂監督から「人よりも早く学校に来て、(部室や教室の)雑巾掛けや掃除をしたりしています。球が速いとか(技術的なこと)よりも人間的に社会に出ても大丈夫でしょう。私はプロに行かしたいと思います」との進言もあり、プロ志望届を提出することになる。
鮮烈な甲子園デビューを飾り“天狗”になってもおかしくない難しい年頃だったが、注目を集めたことで逆に「しっかりしないといけない」という自覚が芽生えたのだろう。良友さんは「素晴らしい監督にも出会えて、人間的にも成長したのが礎になっていると思います」と桐光学園で培った経験が大きな財産となったことを強調していた。
「松井投手にとってクローザーとは?」
松井は13年のドラフト会議で5球団競合の末、ドラフト1位で楽天に入団。1年目は主に先発で4勝8敗の成績を残した。15年に指揮を執った大久保博元監督(現巨人打撃チーフコーチ)に適性を見いだされ、中継ぎ転向を打診された時は監督室に出向き「先発がやりたいです」と強く訴えたという。それでも「一度持ち帰って決心をつけた」と腹をくくった。当初はセットアッパーを任される予定だったが、抑え候補のミコライオが故障し代役が回ってきたことでクローザーとしてのスタートラインに立ち、その後は18年と20年に2度の先発再転向があるなど紆余曲折を経て、名守護神としての地位を確立した。
200セーブ達成の試合後、松井に質問が飛んだ。
「松井投手にとってクローザーとは?」
「まだ振り返るような年齢でも数字でもないですし、まだ前だけを見てキャリアを重ねていきたい」
一つの節目は迎えたが、あくまで通過点。周囲は岩瀬仁紀氏(元中日)が持つ歴代最多407セーブ更新を求める声が早くも上がっているが、「目先の数字に捕らわれていては疲れるので、『407セーブ』と言われますが、今はまだ全然見えません。一つ、一つ積み重ねていきたい。その結果、その方向に向かっていければと思います」と現在の心境を語った。
まだ道半ばのプロ10年目。球史に残る大投手を目指して、歩みは止めない。
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