細野晴臣、松任谷正隆…煌めき始めた音楽家たち
ティン・パン・アレーとして細野晴臣、林立夫、松任谷正隆。ゲストは伊藤銀次、矢野誠、小原礼、はちみつぱい、上原裕、そしてシュガー・ベイブ。
坂本龍一の1970年代後半の活動に欠かせなくなる面々がこの『荻窪ロフト』のオープニング・セレモニーには揃っていた。
坂本龍一はこの店で多くのミュージシャンと知り合い、共演の場も多くなった。ここ以外でのライヴやレコーディングに呼ばれることも多くなっていく。
「シュガー・ベイブ、山下達郎と最初に会ったのは『荻窪ロフト』なんです。あそこができたばっかりのときで、オープニングに荒井由実や夕焼け楽団などいろんな人が出て知り合ったのですが、当時シュガー・ベイブは山下洋輔さんのジャムライスっていう事務所に所属していた。ジャムにライスって赤塚不二夫先生的なセンスの名前。亡くなった友人の生田朗が山下洋輔トリオの大ファンで、彼を通してシュガー・ベイブを知ったんじゃなかったかな。ぼくと生田がどうやって知り合ったかというのはもうよく憶えていないんですけど」(※※)
そう、この『荻窪ロフト』では、後に友人のみならずマネージャーとして坂本龍一のキャリアに大きくかかわる生田朗とも知り合っていた。
当時の坂本龍一の外見はむさくるしい長髪に、無精髭。煮染めたようなジーンズに冬でも素足にゴムサンダル。
『西荻窪ロフト』のオープンの頃に連載が始まった水島新司の野球漫画『あぶさん』の主人公も(初期の頃は)同じくむさくるしいキャラクターで、いつのまにか坂本龍一のあだ名はアブになっていた。
この1975年、シンガーとして、あるいはジャズ、ポップスのドラマーとして活躍していたつのだ☆ひろとも出会う。つのだ☆ひろは坂本龍一を気に入り、さまざまなライヴ、レコーディングの場に呼んだほか、レコード会社などにも紹介してくれるようになっていく。
その初期のコラボレーションが浅川マキのアルバム『灯ともし頃』への参加だった。
『灯ともし頃』は当時、浅川マキがよくライヴを行なっていた西荻窪のライブハウス『アケタの店』でライヴ形式のレコーディングを行なったアルバム。つのだ☆ひろ、吉田建、向井滋春、近藤等則ら坂本龍一とこの後も共演するアーティストに混じり、オルガンを弾くことになった。