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〈WBC戦士秘話〉育成から這い上がった甲斐拓也を支えたがんと闘う先輩女性マネージャーが遺した野球ノート《秘蔵写真》

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 劇的な大勝利で世界一奪還を果たした侍ジャパン。WBCの興奮冷めやらぬ中、ついに4月1日から日本ではプロ野球、アメリカではメジャーリーグも開幕した。開幕早々、村上宗隆の今季初ホームランをはじめ、侍ジャパンメンバーから目が離せない。

 そこで、「これを読めばさらに彼らの活躍が楽しめる!」WBC出場メンバーのルーツを独自取材した「週刊文春」掲載の短期連載を特別に無料公開する(初出:週刊文春 2023年3月16日号 肩書きは公開時のまま)。

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 育成出身選手で初めて日本シリーズMVPに輝いた、侍の扇の要。“甲斐キャノン”の成長を支えたのは、今も忘れない大切な言葉だった。

亡きマネージャーの「心」を胸に

 2008年11月、大分・楊志館高校野球部の部室ではミーティングが行われていた。だが――、そこにいる誰もが、言葉を失っていた。1冊の野球ノートが部員たちの間で回覧され、嗚咽が漏れ聞こえる。1年生の甲斐拓也もそのノートを読み始めると、肩を震わせ、溢れる涙を止めることはできなかった。甲斐の2学年上でマネージャーを務めていた大﨑耀子(あきこ)さんが、上咽頭がんのために亡くなって数日後のことだった。

大﨑さんの名を冠したチューリップガーデン/撮影 吉田暁史

 甲斐の入学時にはすでに、大﨑さんの病状は末期まで進行していた。彼女が病に侵されながらも、チームへの思い、野球への情熱を綴っていたのがこのノートだった。

「私ももう勝てるんなら死んでもイイから! 体が悪くなってイイから。みんなもっともっと頑張って!」

部室に飾られた大﨑さんの写真/撮影 吉田暁史

 この年の夏、大﨑さんが病を押してベンチ入りした大分大会で、前年度甲子園ベスト8の楊志館はまさかの初戦敗退を喫していた。ノートの存在をこのミーティングで初めて知った部員たちは、「このままじゃいけない」と涙を拭き、思いを受け継ぐことを決意した。大﨑さんが大切にしていた言葉「心」。その文字を裏地に刻んだ新ユニフォームに身を包み、白球を追う日々が始まった。甲斐はプロになってもこの1文字を忘れていない。イニングの始まりに、ホームベース付近のグラウンドを丁寧に均し、指でその字を刻む。亡きマネージャーの「心」を胸に。

ユニフォーム裏に刻まれた「心」

チームで手薄だった捕手に それでも「大分県で一番の捕手でした」

 大分県大分市で生まれ、小学1年生から野球を始めた甲斐が、捕手にコンバートされたのは高校1年の時だった。楊志館高校の監督を務めていた宮地弘明氏が当時を振り返る。