第4〜6週の「人力飛行機編」では、「スワン号」のパイロットを買って出た舞が「仲間と力を合わせて大きな目標を達成する」という成功体験を得る。これは舞の人生の糧であり、ベースとなる。「少女編」「人力飛行機編」を通じて、舞がどうしてそんなにも「空」に焦がれるのかが、強く伝わってきた。
幼なじみ3人組の舞、貴司(赤楚衛二)、久留美(山下美月)がそれぞれ自分の行く道を決める第7週「立志編」も秀逸だった。最初に就職した会社で「過労うつ」の状態になってしまった貴司が、五島の空と海のもと、初めて詠んだ歌、「星たちの光あつめて見えてきた この道を行く明日の僕は」は、3人のこれから、ひいてはこの物語が見据える「未来」を静かに示していた。
「航空学校編」では、主人公・舞が「おせっかいヒロイン」に
続く第8〜11週の「航空学校編」は、嶋田氏と佃氏が2週ずつを担当。専門性が高いパートなので、あらかじめ独立した「航空学校編チーム」を作って台本を制作したのだという。しかし、この「航空学校編」で、それまで絹糸を編みあげるような手つきで紡がれてきたこのドラマが一変する。
ヒロインの人生の「ステージ」の変わり目で、ドラマのトーンがガラリと変わるのは、長丁場の朝ドラではよくあることだ。各々の脚本家の「持ち味」を活かすのもありだろう。しかしここで、舞の「人格」までも変わったように見えてしまったのが残念だ。
「少女編」「人力飛行機編」「立志編」を通じて、あれだけ他者の気持ちを繊細に感じ取り、柔らかく寄り添う人として描かれてきた舞が、まるで90年代の朝ドラによく見られた「おせっかいヒロイン」に見えてしまったのは痛恨だった。
環境やライフステージが変われど、主人公が「同じ人物」として立っていてこそ、半年間という長い物語が切れ目なく編み上がるし、視聴者も没入できるというものだ。