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総武線“競馬の町のターミナル”「西船橋」には何がある?

2023/04/10

genre : ニュース, 社会,

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1969年、この町に東西線がやってきた

 ようやく本格的に発展が進んだのは、1969年に地下鉄東西線が乗り入れるようになってからだ。都心方面に通勤するとなれば、東西線の始発は西船橋駅。つまり、座って通勤できる。そうして駅周辺には住宅地が形成され、駅までクルマでやってくる人たちによって駅の周りは広大な駐車スペースになったとか。この頃まではまだまだ田園地帯だった駅の南側もようやく開発が本格化し、いまではすっかり住宅地へと生まれ変わっている。

 

 ちなみに、東西線が乗り入れてしばらくたった1970年代は、美濃部革新都政の影響もあって公営ギャンブルには逆風が吹き荒れていた(東京都が大井競馬などから撤退したのはこの時代)。

 いまでこそ若い女性も訪れるような競馬場も、当時はザ・鉄火場。近隣住民とのトラブルも絶えなかった。“ギャンブル公害”なども叫ばれ、競馬場のようなギャンブル場はいわば迷惑施設だったのだ。

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 そこで、70年代半ばには西船橋駅前のタクシー乗り場を競馬客とそれ以外で分けるといった対策も行われている。ハイセイコーが現れて第一次競馬ブームが巻き起こった時代だが、広い目で見れば競馬の評判はあまり芳しいものではなかったご時世のお話である。

1978年には武蔵野線、1986年には京葉線がやってきて…

 1978年には武蔵野線が開業し、1986年には京葉線も開業。平成に入って1996年には東葉高速鉄道が開業して地下鉄東西線と直通運転を開始し、現在の西船橋駅はこの時期に完成した。この間の1987年には京成の葛飾駅が京成西船駅に改称している。地名にも取り入れられた“西船”というエリアが、確実な存在感を放つようになった証といっていい。

 そうして駅の南側の開発も進み、いまではマンションがいくつも建ち並ぶ。2011年にはエキナカ商業施設が開業し、乗り換えの要衝にして京葉間随一のターミナルとして、いまや揺るがない存在になっている。飲み屋が集中しているような西船橋駅前の一角は、古き昭和の西船の面影を留める最後の風景なのかもしれない。

 

 かくいう筆者も、これまで何度も競馬帰りに西船橋駅前で酒を飲んだ。数年前、有馬記念前日に西船で深酒をして終電を逃してしまったこともある。いわゆる都心の歓楽街ではないから、朝までやっている店はほとんどなく、絶望したのをよく覚えている。なので、皐月賞で中山競馬場にお出かけの皆様、レース後の深酒にはよくよく気をつけることをおすすめします。

写真=鼠入昌史

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