BBCのモビーン・アザー記者は、1999年に「週刊文春」が報じた内容を“後追い報道”であることを明らかにした上で、取材を進めていった。まず「週刊文春」の記者たちにインタビューして、報道した当時の内情を聞いて、その「確かさ」を自分の目と耳で確認した。
記者が同業他社の記者を取材する――。それぞれの報道機関の競争意識やプライドが高いせいもあって、日本ではこうした報道はほとんど行われない。ところが、筆者がテレビのロンドン特派員として駐在した30年前から、英国では「他社の〇〇によると、~だと報じられている」という引用報道が当たり前のように行われていた。BBCに限らないが、英国メディアは他社の名前を出して“後追い報道”することや、場合によっては先行した他社の記者にインタビューすることさえ厭わない。
アザー記者は、ジャニーズ事務所が名誉毀損として文藝春秋を訴えた民事訴訟の裁判で、文春側の代理人を務めた弁護士から証言を得ている。法廷では、ジャニー氏が少年たちによる性暴力被害の訴えを明確には否定しなかったという。
「ジャニーさんには長生きしてもらいたい」
一方、法廷で証言した少年の言葉にも注目する。
“加害者”であるジャニー氏の性暴力が事実であることを認めながらも、弁護士から「最後にジャニー氏に言いたいことは?」と尋ねられてこう答えたという。
〈ジャニーさんには長生きしてもらいたい〉
それを聞いて、アザー記者は思わず「非常に悲しい話だ。性虐待の加害者に愛着や忠誠心を示すなんて……」と絶句する。
実際にアザー記者はジャニーズの元少年たちに会って直接話を聞いていくうち、違和感が広がっていく。自分たちが深刻な性被害にあっていたにもかかわらず、彼らの多くが「ジャニーさんのことを嫌いになれない。今でも大好きですよ」などと一種の愛情を語るのだ。アザー記者はそのことこそが問題の深刻な点ではないか、とため息まじりにレポートする。
記者 元少年の言葉の一部は異様に思えました。本人に自覚がなく、まさに「グルーミング」です。「グルーミング」は、加害者が被害者を懐柔して、特別な絆があると思い込ませることです。元少年は加害者に対して、敬意どころか愛情すら持っています。
“グルーミング”はNHKも注目していた問題だった!
この「グルーミング」が、BBCドキュメンタリーのキーワードだ。
Grooming.
もともとは動物が仲間の毛をなめてつくろう「毛づくろい」を意味し、そこから派生して子どもに対する性虐待や性犯罪の文脈でも使われる専門用語だ。日本ではまだ耳馴染みがないが、子どもたちを大人が手なずけることを意味する。
精神的な支配関係がある時に、子どもは大人からの性的な虐待要求に従順になりやすい。子どもに対する性暴力、性虐待、性犯罪などを理解しようとする時、「グルーミング」について、よく理解しておく必要がある。
朝日新聞デジタルの記事(2021年7月12日)では、次のように説明されている。
「グルーミング」という言葉をご存じだろうか。動物の毛づくろいという意味の英語だが、子どもへの性犯罪では、犯人が巧みに被害者の心をつかんで接近する準備行動をいう。幼い子どもの従順さや思春期特有の悩みにつけ込み、被害者と「信頼関係」を結ぶため、周囲も気付かないまま加害行為が長期化することもある。
グルーミングは、心が成長しきれていない子どもたちを性的な欲望の対象にしようとする大人が精神的に支配するための手口だ。結果として性虐待などにつながるケースが世界中で急増し、どうやって防ぐかが関係者の悩みの種になっている。
筆者が知る限り、日本のメディアでこの問題を早い時期から継続して問題提起していたのがNHKだった。