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 結局またしてもマイケル版「ビハインド・ザ・マスク」は世に出ることはなかったが、厳密な意味ではふたたびの墓場入りをすることはなかった。というのも、『BAD』の録音に参加し、その後のワールド・ツアーではミュージカル・ディレクターになったキーボード奏者のグレッグ・フィリンゲインズが、マイケルから作品を譲り受けるような形で、自身のソロ・アルバム『パルス』(1984)にマイケルが歌詞を追加して、アレンジも手がけた『BAD』用の「ビハインド・ザ・マスク」をレコーディングして収録したからだ。

 このグレッグ・フィリンゲインズの「ビハインド・ザ・マスク」は欧米でシングル・カットもされてそれなりのヒットを記録したが、リリース当時より、バッキング・ヴォーカルにはノン・クレジットでマイケル自身が参加しているという根強い噂がマイケルのファンの間で流れている。

 この、もともとはマイケル自身の『BAD』のためにアレンジされたであろう「ビハインド・ザ・マスク」は、その後にグレッグ・フィリンゲインズがバック・ミュージシャンとなったエリック・クラプトンもアルバム『オーガスト』(1986)で取り上げることになったほか、坂本龍一自身も含め、ヒューマン・リーグなど世界各国の複数のアーティストにカヴァーされることになる。

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「1986年のある日にイギリスの母から電話がかかってきました。クリス、あなたはエリック・クラプトンに詞を書いたの? と。うちのお隣の子があなたの名前がクラプトンのアルバムに載っているって言っているとも。アルファレコードの音楽出版部に、もしかしてクラプトンが私の詞を録音したかな? と問い合わせると、はい、『ビハインド・ザ・マスク』です。もう発売もされていますと当たり前のように答えるではないですか!」(クリス・モズデル)

マスクの向こうに隠れ続ける真のマイケル版?

 このようにマイケル版の「ビハインド・ザ・マスク」といえば、グレッグ・フィリンゲインズやエリック・クラプトンがカヴァーしたヴァージョン、アレンジであるというのがYMOのファンにもマイケルのファンにもいわば常識となっていったのだが、マイケル・ジャクソンの突然の死に起因してそれは覆ることになった。

 2009年6月のマイケルの死去を受けて、所属レコード会社はマイケルの未発表曲を含むコンピレーション・アルバム『マイケル』(2010)の編纂を企画。この企画アルバムに『スリラー』の準備中にマイケルが録音した「ビハインド・ザ・マスク」の収録が決まったのだった。

 ただし、このときにマイケルが残した「ビハインド・ザ・マスク」はあくまでデモ・ヴァージョンの段階のもの。アルバムの制作者たちはこのデモから、マイケルのヴォーカルやバックの一部を残した上で大胆な再アレンジを施し、楽器演奏のダビング(グレッグ・フィリンゲインズもキーボードを加えている)を重ねた上で『マイケル』に収録した。

 このマイケルのカヴァー版「ビハインド・ザ・マスク」を聴いたクリス・モズデルは、マイケルはオリジナルの「ビハインド・ザ・マスク」の世界や詞を尊重しながらも、結局は男女間のラヴ・ソングに変えてしまっていることに失望を覚えたそうだ。

「この曲はもともとウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『鷹の井戸(At the Hawk's Well)』と詩『仮面(The Mask)』、そして日本の能から着想を得ています。仮面を被って感情を露わにしないアイデアには何かしら人間の恐れや想像力をかきたてるものがあって、それでマイケルをはじめ世界中のアーティストたちを刺激するのかもしれないですね」

 そして、同曲の収録の許諾を得るために、ついに30年近くの時を置いて、作曲者の坂本龍一のもとに1981年の、『スリラー』のために録音されたマイケル版「ビハインド・ザ・マスク」のデモ・ヴァージョンの音源が届いたのだった!

 坂本龍一によると、それは本当にデモ段階のもので、YMOの「ビハインド・ザ・マスク」をシンセサイザーの音色まで完全にコピーした演奏をバックに、マイケルが歌詞を加えたヴォーカルが乗っているのだと言う。それはグレッグ・フィリンゲインズのアルバムに収録された『BAD』のためのアレンジとはほど遠いもの。もちろん、当時交渉がうまく運んで『スリラー』のために本格的なレコーディングが行われたとしたら、デモのYMO完全コピーとマイケルの歌という形態からは大きく姿を変えたのだろうが……。

 アルバム『マイケル』に収録された「ビハインド・ザ・マスク」は評論家やファンにも好評で、アルバム中のベスト・トラックという評も多かった。そのためアルバム発売の翌年の2011年にはシングルとしてもカットされ、プロモーション・ヴィデオも制作された。

 マイケル・ジャクソンと「ビハインド・ザ・マスク」を巡る30年余の物語はここに完結したのだった。(編集部注:2022年発売の『スリラー 40周年記念版』にマイケルのオリジナル・デモ・ヴァージョンが収録された)

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。