史上最も売れたアルバム、マイケル・ジャクソンの『スリラー』では当初、坂本龍一が作った楽曲「ビハインド・ザ・マスク」のカバーの収録も予定されていた。
しかし条件が合わず「幻の企画」に終わったと思われたが、後年、この曲は数奇な運命を辿ることになる。マイケル版「ビハンド・ザ・マスク」の顛末を、編集者でライターの吉村栄一さんの著書『YMO1978-2043』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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マイケル・ジャクソンからの突然の依頼
1981年の終わり、『オフ・ザ・ウォール』に続くアルバムの準備を進めていたマイケル・ジャクソンは、最近耳にして気になっていた曲をカヴァーしようと思い立った。
お気に入りのその曲に自分で追加の歌詞とそのためのメロディ・ラインを作る。
その曲こそがYMOの「ビハインド・ザ・マスク」だった。
YMOは前年1980年の11月にロスアンジェルスのA&Mのスタジオで日本に向けた衛星中継のライヴを行い、会場の招待客の中にはジャクソンズの名前もあった。縁があった。
マイケルがこのとき用意していたアルバムは1982年11月に発売されることになる『スリラー』。全世界でこれまで6500万枚以上を売ったモンスター的な大ヒット・アルバムだ。
しかし、マイケルによるYMOの「ビハインド・ザ・マスク」のカヴァー録音と『スリラー』への収録は、結局はかなわなかった。
アルファレコードにカヴァーの許諾を求める連絡があったのだが、その条件が問題だったのだ。
マイケル・ジャクソンが追加の歌詞とメロディ・ラインを新たに作った。旧来の歌詞の一部も変更している。そのため、この曲のマイケル・ジャクソン版の著作権を、マイケルが50%、YMO側が50%(作曲者の坂本龍一が25%、作詞者のクリス・モズデルが25%)としたいという通告があった。『スリラー』がメガ・ヒットした後の超スーパー・スターのマイケル・ジャクソンでは、まだない。アメリカを中心にスターでこそあったが、マイケルが「ビハインド・ザ・マスク」に加えた要素は、本当に著作権の50%に値するような大きなものなのか。
YMO側はそれを判断するために、新たな歌詞を含むマイケル版「ビハインド・ザ・マスク」をデモ・テープでいいので事前に確認させてほしいと要求した。著作者人格権にかかわる当然の要求だ。
だが、マイケル・ジャクソン側からの返答は事前にマイケルの未発表音源は外に出せないというもの。協議は物別れに終わり、マイケル版「ビハインド・ザ・マスク」は『スリラー』に収録されることもなく幻に終わった……はずだった。
しかしこの後、マイケル版「ビハンド・ザ・マスク」は数奇な運命を辿っていくことになる。