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実現すれば“3億円”受け取れるはずだったのに…坂本龍一×マイケル・ジャクソン「夢のコラボ」が潰れたあとに“奇妙な形”で復活した裏側

『YMO1978-2043』 #1

2023/04/15

genre : エンタメ, 芸能

 ちなみに、もし、『スリラー』に「ビハインド・ザ・マスク」が収録されていたらどういう結果が待っていたのだろう。

 とても大雑把な計算だが、アメリカにおけるレコード収録曲の1曲の著作権印税は9.1セントで、それに『スリラー』の売上枚数6500万枚を掛けると計591.5万ドル。

 為替レートはアルバム発売年の1982年の270円程度からその後1985年のプラザ合意を経て大きく変動しているが、アルバムがもっとも売れた1983年から1985年の為替レートの平均を200円で単純化して仮に計算してみると、「ビハインド・ザ・マスク」1曲全体の著作権印税は約12億円。

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 YMO側の取り分は50%なのでおよそ295万7500ドル=約6億円。作曲者の坂本龍一と作詞者のクリス・モズデルはそれぞれ3億円を受け取る計算になる(もちろん、多額の税金や手数料は引かれるが)。ちなみに1983年のジャンボ宝くじの1等賞金は前後賞併せて5000万円だった。

今年3月に亡くなられた坂本龍一さん ©文藝春秋

 逃した魚は大きい。ともあれ、このとき作られ、YMOサイドの耳に届くことがなかった1982年のマイケル・ジャクソン版「ビハインド・ザ・マスク」のデモを、作曲者である坂本龍一が耳にすることになるのはこれより30年近く経ってからだった。

マイケル版「ビハインド・ザ・マスク」ふたたび

 1980年代半ばになって、突然に蘇ってきたのがマイケル・ジャクソン版「ビハインド・ザ・マスク」だった。墓場からの復活? まさにスリラーだ。

 1983年からマイケル・ジャクソンはメガ・ヒット・アルバム『スリラー』に続く新作の準備を始め、デモ・テープ作りの作業は1985年まで続いたが、この期間の初期に、マイケルはふたたび「ビハインド・ザ・マスク」のカヴァーに取り組もうとしていた形跡がある。

 新作アルバムは後に『BAD』というこれも大きなヒットを記録する作品となったが、制作の初期の頃、クリス・モズデルに「ビハインド・ザ・マスク」に新たな追加の歌詞が欲しいという依頼が来たのだ。

 クリス・モズデルは2019年の回想で、もともとはプロデューサーであるクインシー・ジョーンズの発案で「ビハインド・ザ・マスク」をアップ・テンポなディスコ・トラックにしたいということで、それにふさわしい追加の詞がほしいという依頼だったと言う。

「曲をアップ・テンポにするということで、それに合いそうな詞を書いてクインシー・ジョーンズ宛に送りました」

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