ちなみに、もし、『スリラー』に「ビハインド・ザ・マスク」が収録されていたらどういう結果が待っていたのだろう。
とても大雑把な計算だが、アメリカにおけるレコード収録曲の1曲の著作権印税は9.1セントで、それに『スリラー』の売上枚数6500万枚を掛けると計591.5万ドル。
為替レートはアルバム発売年の1982年の270円程度からその後1985年のプラザ合意を経て大きく変動しているが、アルバムがもっとも売れた1983年から1985年の為替レートの平均を200円で単純化して仮に計算してみると、「ビハインド・ザ・マスク」1曲全体の著作権印税は約12億円。
YMO側の取り分は50%なのでおよそ295万7500ドル=約6億円。作曲者の坂本龍一と作詞者のクリス・モズデルはそれぞれ3億円を受け取る計算になる(もちろん、多額の税金や手数料は引かれるが)。ちなみに1983年のジャンボ宝くじの1等賞金は前後賞併せて5000万円だった。
逃した魚は大きい。ともあれ、このとき作られ、YMOサイドの耳に届くことがなかった1982年のマイケル・ジャクソン版「ビハインド・ザ・マスク」のデモを、作曲者である坂本龍一が耳にすることになるのはこれより30年近く経ってからだった。
マイケル版「ビハインド・ザ・マスク」ふたたび
1980年代半ばになって、突然に蘇ってきたのがマイケル・ジャクソン版「ビハインド・ザ・マスク」だった。墓場からの復活? まさにスリラーだ。
1983年からマイケル・ジャクソンはメガ・ヒット・アルバム『スリラー』に続く新作の準備を始め、デモ・テープ作りの作業は1985年まで続いたが、この期間の初期に、マイケルはふたたび「ビハインド・ザ・マスク」のカヴァーに取り組もうとしていた形跡がある。
新作アルバムは後に『BAD』というこれも大きなヒットを記録する作品となったが、制作の初期の頃、クリス・モズデルに「ビハインド・ザ・マスク」に新たな追加の歌詞が欲しいという依頼が来たのだ。
クリス・モズデルは2019年の回想で、もともとはプロデューサーであるクインシー・ジョーンズの発案で「ビハインド・ザ・マスク」をアップ・テンポなディスコ・トラックにしたいということで、それにふさわしい追加の詞がほしいという依頼だったと言う。
「曲をアップ・テンポにするということで、それに合いそうな詞を書いてクインシー・ジョーンズ宛に送りました」