牧歌的な風景に若いカップルの睦まじい姿を描いた本作は、ギリシア神話がベースになっています。作者はフランスの第一帝政期・王政復古期を通して活躍したフランソワ・ジェラール(1770~1837)。
右側の翼のある人物は恋の神キューピッド。ラテン語ではアモルともクピドともいい、キューピッドは英語読みです。矢で射ることで、人間だけでなく神様でさえ自由に恋に陥らせることができる、なかなか危険な力を持つ神様です。
左側の少女はプシュケ。魂という意味で、同時に蝶の意もあるため、彼女はしばしば蝶の羽をもつ姿で表現され、ここでは頭上に象徴的に描かれています。人間のお姫様で、その美しさゆえに人々から崇拝されていました。そのことで愛の女神ヴィーナスの怒りを買ってしまい、女神はプシュケを懲らしめるため、ろくでもない人を好きにさせようと息子のキューピッドを送り込みます。ところが、彼はプシュケに恋してしまうのです。
彼は夜だけプシュケを訪れ、「自分の姿を見てはいけない」と禁じます。プシュケは姿の見えない彼を愛しく思いつつも、ついに誘惑をおさえきれず、寝ている彼の姿をランプで照らして見てしまいます。タブーを犯した彼女の元をキューピッドは去り、そこから彼を探すプシュケの苦難の旅が始まります。しかし神話には珍しく、最後はハッピーエンド。
この物語の典拠は紀元2世紀ローマの作家アプレイウスの「黄金のロバ」の挿話で、17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌがそれを元に「プシュケとアモルの恋物語」を書きました。1790年代のフランスではラ・フォンテーヌ版の挿絵本がたびたび刊行され、そのうちの一つにジェラールが4点の挿絵を提供しています。つまり、画家はこの物語をよく知っていたわけですが、本作が物語の特定の場面を表すのかどうかは議論の分かれるところ。
当初は、愛と魂を寓意的に表すものと受け止められていました。暫くすると、これは二人の出会いの場面で「キューピッドの最初のキスを受けるプシュケ」であり、彼女のうつろな表情は彼の姿が見えていないからだという捉え方が出てきます。また、ラ・フォンテーヌ版の最後、眠るプシュケをキューピッドがキスで起こす場面の可能性も示唆されています。
構図はキューピッドの頭を頂点に、二人が三角形を描く安定したもの。さらに、彼の左腕を始め二人の体のさまざまな部位が三角形を形作り、静的な中にも規則的なリズムを生んでいます。背景の山並みが右肩上がりのラインを作り、二人の想いの高まりや幸せな行く末を示すようです。
様式は、古代彫刻のように理想化された人物像を、すっきりした輪郭と滑らかな筆触で描く、師匠ダヴィッド譲りの新古典派の特徴が見えます。師匠が政治的な題材を選んだのに対し、ジェラールは非政治的でロマンチックな題材を選んだところに、フランス革命の混乱期を経て落ち着いてきた時代が感じられます。
INFORMATION
「ルーヴル美術館展 愛を描く」
国立新美術館にて6月12日まで
https://www.nact.jp/exhibition_special/2023/love_louvre/