「及川奈央の時代」を導いた決意
2000年代初頭に青春時代を過ごした男性なら生涯その名を忘れられない女優だが、意外にもデビュー当初はほとんど鳴かず飛ばずだった。デビュー1年で出演した作品はわずか5本にとどまった。
「及川さんがデビューしたのは宇宙企画という美少女系を売りにしたレーベルでした。ところが彼女は綺麗な“お姉さん系”。よく言えば大人っぽいと言えますが、『サバ読んでいるんじゃないの?』と見た目を弄られることもあって本人は相当気にしていたようです。勢いで入った世界とはいえ、本人はまじめな性格でしたし、売れないことはショックだったと言っていました。そこから意識を切り替えて、『やれることはやろう』と凌辱ものなどハードな内容の作品への出演を決意したようです」(同前)
彼女の決意は、アダルトビデオファンにも届いた。みるみる人気はうなぎ上りになり、一気にトップ女優である「企画単体女優」へと成りあがった。2003年にはKMPというメーカーが結成したアイドルグループ・ミリオンガールズのリーダーに抜擢される。業界内の評価も「今は及川奈央の時代」で一致していた。
「人気になればお金も入ってくるし、次第に天狗になる女優さんは少なくないんですが、及川さんはそうじゃなかった。ブランド物で全身ゴテゴテ着飾るタイプではありませんでした。私服も地味というか落ち着いた印象でしたね。金銭感覚が庶民的なのか、会食の帰りに一緒に電車に乗って帰ったこともありますよ。結構稼いでいたはずなので、タクシーを使ってもいいのにね」(同前)
前出のライターも、及川のことを「まじめな人だった」と回想する。
「『出演作をメモしているんです』と手帳を見せてもらったことがあるんです。そこに書かれていた字がとても綺麗でね……。『ああ、きっと育ちが良い人なんだな』と感心してしまったことがあります」
人気絶頂期に“事実上”の引退
そんな及川だが2004年のある時期を区切りにパタリと出演作が途絶えてしまう。明確な引退宣言はせず、「お休み」という形をとっていたが、今に至るも新作は出ていない。人気絶頂の中で事実上の「引退」だった。活動期間は4年にも満たない。
「そもそもこの世界の撮影はハードなので、出演者は疲弊していってしまうんです」と言うのは、前出の業界関係者。「引退」に至った及川の心中をこう推し量る。
「業界で売れ続けるためには常に新機軸、新しいジャンルに挑まなければなりません。腹を括った及川さんでも、ちょっとばかり過激なジャンルへの出演が続いて擦り切れてしまったんじゃないでしょうか。本人は『100本出演したい』と言っていたこともありましたが、元々あまりやりたくない仕事だったのと、やり切ったという気持ちもあって復帰することなくフェードアウトしていきました」
AV女優は若くして引退するのが常だった。デビュー作を最大のヒット作にし、最後の出演作、つまり“引退作”を大々的に宣伝して女優として消えていく。よく言えば一瞬の輝きに賭ける仕事であり、悪く言えば使い捨ての仕事、これがかつてのAV女優のキャリアパスだ。