酔っ払ったときは、いつもぐでんぐでん。秘書官に抱えられて帰っていくことも……。日本の元内閣総理大臣・宮沢喜一氏の「酒癖」はなぜ悪かったのか? かつての自民党のドン・田中角栄をも驚かせた、その様子をライターの栗下直也氏の新刊『政治家の酒癖』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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誰もが認めた頭の良さと酒乱癖
近年の日本の政治家で酒好きといえば宮澤喜一だろう。近年と書いてみたが、そういえばいつ亡くなったのかなと思い調べてみたら、2007年に亡くなっている。全くもって近年でない。首相在任期間は1991年から1993年だ。アラサー世代の人はもはや知らない政治家なのかもしれない。宮澤から岸田文雄首相までに14人もの首相が存在するのだから。
ちなみに2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に実衣(北条時政の娘、政子の妹)役で出演していた俳優の宮澤エマは喜一の孫だ。いや、喜一をエマの祖父と書くべき時代になったのかもしれない。
宮澤は官僚出身のバリバリのエリートだった。東京帝国大学法学部を首席で卒業し、大蔵省(現・財務省)に入る。これだけでも凄いが、高等文官任用試験(今の国家公務員総合職試験)で、行政科と外交科の両方に合格している。エリートが門を叩く大蔵省でも、「大秀才」と呼ばれた。秘書官として仕えた池田勇人の勧めもあり、1953年に政界入りする。
宮澤は頭は回るが、口も回った。むしろ、回りすぎた。毒舌の部類だ。自分が東大法学部卒のエリートだったからか、極端な学歴偏重主義で知られた。東京農業大学出身の金丸信に面と向かって「金丸先生は農大を出ていらっしゃる。そいつはお出来になりますなあ」と皮肉った。酒を飲んだ席で金丸の活躍が話題になると「ああいう人は水の底に沈んでいただいた方がいいかもしれませんな。山梨(著者注・金丸の選出区)には釡無川という深い川があるというじゃないですか」と場を静まらせてしまう発言も珍しくなかった。