早大出身の竹下登には、竹下が入学当時の早稲田が無試験であったことを揶揄した。竹下は後藤田正晴に「ボクは宮澤さんに『竹下さん、貴方の時代は早稲田の商学部は無試験だったんですってね』といわれた。あれだけは許せない」と恨みを吐き出している。
「それ言う必要ないだろ」ということを言ってしまう人
政治学者の御厨貴氏は「政治判断は正しいものが多かった気がします」としながらも、「頭が良すぎて他者を見下したような態度を取るため、慕う人があまりにも少なかった」と人望の低さを指摘している。「それ言う必要ないだろ」ということをいってしまうのが宮澤なのだ。厄介なのは本人に悪気はないことだ。
例えば、子どもの教育は自由放任で成績にもうるさくなかった。満点のテスト用紙を見せても「僕は100点以外の点は見たことがないな」と呟くだけで、悪い点をとっても「ふーん」と言うだけ。質問すると丁寧に答えてくれるが、くだらない質問をすると無視される。子どもにしてみれば、つかみどころがない。
教養も持ち合わせていたから、学歴主義者、権威主義者とは切り捨てられない。学者で劇作家でもあった山崎正和は、宮澤と私的な会合で席をよくともにしたが、「教養人とはこういうものかとも思いましたね」と感嘆している。
田中角栄に「英語屋」と馬鹿にされるほど語学に堪能だったが、単に語学に長けていただけではない。欧米の幅広い雑誌に目を通していたこともあり、会話に幅もあった。
欧米カブレなわけでもない。多くの人にとっては何が書いてあるかわからないような墨跡もすらすらと読み下し、その様は山崎からみても、まるで曲芸のようだったという。
「どうしてああいう人が政界に入ったのか不思議なくらい」と奇妙な気持ちになったとか。そして、山崎を驚かせたのが教養人ぶりにも増して、酔態だ。
山崎と宮澤が顔を合わせていた会合は京都の大徳寺で開かれていたが、宮澤はその場がよほど好きだったらしい。首相になってからも激務の合間を縫って、わざわざ京都に出向き参加していた。もちろん、一国の首相だけにふらっと遊びに行けるわけもない。SPのみならず、京都府警が総力を挙げて護衛するので、閑静な大徳寺周辺が警護でいっぱいになり、異様な光景が広がった。
異様な光景は寺の中にも広がっていた。宮澤は毎回、ぐでんぐでんに酔っ払って、秘書官に抱えられて帰っていくものだから手に負えない。