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 宮澤は造り酒屋の息子ということもあってか、酒には弱くなかった。酒をある程度飲まないと酔わないが、酔うまでは相手に絡み続ける。ある時点を境に目が据わり、相手が誰彼かまわず演説が始まる。結局、酔っても酔わなくてもどっちにしろ絡み続けているのだ。

写真はイメージです ©getty

 酒豪で酒乱という最も性質の悪い酒飲みともいえる。ジャーナリストの立花隆も「酒乱の域に達しないうちは、人にイヤなからみ方をする時間がえんえんとつづく」とかつて記していた。自民党のドンで懐の深さで知られた田中角栄に「2度と酒を飲みたくない」とまで言わしめているからよほどだったのだろう。

 読売グループのボスである渡邊恒雄氏も回顧録で振り返っている。中曽根康弘内閣の時に盟友である中曽根の依頼で、渡邊氏は某料亭の女将の部屋を借りて、宮澤に会う。宮澤に大蔵大臣を引き受けてもらうためだ。シラフの宮澤は真面目な顔で大蔵大臣を引き受ける代わりに、宮澤の派閥「宏池会」に政調会長のポストを用意しろと要求してきた。

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 渡邊氏は中曽根の遣いできたのでその場では判断ができない。「今晩中に連絡しますから」と引き揚げ、中曽根の了解を取りつけたうえで、架電する。すると、宮澤はすでに泥酔状態で「いやあ、こりゃこりゃ、ナベちゃん、ナベちゃん」と先ほどと様相は一変していて、全く話にならなかったという。「酔ったら電話に出るな」は一般人も政治家も同じだ。実際、宮澤は原則、夜は電話に出なかった時期もあった。

「ひどいときは酒乱に近い状態」

 宮澤自身、酒癖の悪さは自覚していたのだろう。朝日新聞の政治記者だった石川真澄は「私は会う前から宮澤氏に好感を抱いていた」と書いている。

 新聞記者には昼間に正面から聞きにくい話などを、関係者の自宅に足を運んで直接話を聞く「夜回り」という取材方法がある。事件取材ならば警察幹部、企業取材ならば役員、政治取材ならば政治家の家まで出向く。かなり奇妙な慣習で「アメリカならば不審者として射殺される」とよく言われたが日本では一般的になっている。取材される側もそれを心得ていて、政治家の中には玄関脇に専用の部屋を用意したり、麻雀部屋をつくったりする者もいた。記者がそこで待つためだ。

 宮澤はこの夜回りを長年、拒否していた。確かにそういう人もいないわけではないが、大臣や官房長官に就いてからも拒むのは珍しい。宮澤の長女がのちに語っているが、「家族が非常識な時間に新聞記者が家に来るのが大嫌い」というのが理由であった。

 しかし当時、記者の間ではまことしやかに「酒癖の悪さ」が理由ではとささやかれていた。石川も「その理由は、夜になると酒が回って、多弁あるいは、ひどいときは酒乱に近い状態になるからだと解説する人がいた」と記している(その後、自民党の総務会長になった1980年代半ばに対応し始める)。