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 つまり今回の馳浩知事の振る舞いは映画のテーマを自分で証明してしまったのである。石川テレビのドキュメンタリーが気に入らないから自分のプロレスの映像は貸さないと言っているに等しい。無理やりすぎて滑稽にすら思えるが、こうした圧力は地元ではさぞかし効果があるのだろう。

「知事が元日に出場したプロレス」とは

 ここまで読んで「知事が元日に出場したプロレスって何?」と思う方もいるに違いない。説明すると、馳知事はもともとプロレスラーだった。1995年の参院選に出馬して当選し、それ以降は政治家活動が主だが、現在もたまにプロレスの興行に出ることもある。今年の元日には日本武道館で開かれたプロレスリング・ノアの興行に“X”として登場した。

 馳知事はこのときの映像を石川テレビには貸さないと言っているのだ。

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 私はこの試合を現場で観戦していたが、馳の試合は別にどうという内容ではなかった。勿体ぶって映像を貸さないような試合ではなかった。だからこの時点で馳知事の振る舞いは十分可笑しいのだが、実は馳の胸には“嫌な予感”が去来したのではないか。

 それは昨年8月の「白山足止め騒動」である。石川と岐阜の県境にある「白山」の魅力をPRするために馳知事自ら登山し、ご来光を見るという企画があった。しかし石川県を襲った豪雨のせいで、山あいで孤立状態になってしまったのだ。知事が足止めされた結果、県庁で災害対応の指揮をとれなかった問題が起きたのである。

馳知事の文句はかなり無理筋

 当時の報道を見ると石川テレビは知事の行動を厳しめに報道していた。元日のプロレスの映像を石川テレビに貸したらまた何を論評されるかわからない。そうした馳の“嫌な予感”は無かったか? だから石川テレビの映画にケチをつけて「問題視」したように見える。しかし専門家からするとそれはかなり苦しい論理だという。