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「車がある限りラジオは死なない」なんて言われていたけれど

 ファンフラでは毎回20回近く交通情報が入ります。交通情報ってドライバーにとっては重要ですが、それ以外のリスナーにはあまり面白くないでしょ。昔は「車がある限りラジオは死なない」なんて言われていたけれど、もうそんな時代じゃない。そこでスポンサーと絡めて“交通川柳”というのを募集しています。優秀作品にはTシャツを作ってプレゼントしているんですが、毎回、1000通以上の応募が来るんですよ。

――それはすごい。克也さんにとって、そうした創意工夫もDJの醍醐味なのでしょうか?

小林 DJはあくまで個人の感性。たった一人の判断でまかなうことで何かが生まれる。それでいて映画監督と似ている。DJも映画監督も、番組や映画が当たらないとダメだけれどね(笑)。

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©文藝春秋 撮影/石川啓次

 昔からよく「アメリカン・スタイルのDJ」なんて言いますけど、日本に本当のアメリカン・スタイルのDJは不可能だった。日本では構成作家、選曲家、ディレクター、レコードを回すひと、独特の分業が行なわれていたから。ところが、アメリカでは全部一人でやることが多かった。

 曲が「あんた~」と呼びかける歌詞だったら、DJが「お前~」と呼びかけて曲が「あんた~」と答えるとかね。そうした仕掛けによって一体感を生むことで、誰もが知るヒット曲を新鮮に聴かせていた。DJは選曲を聴けばそいつがどんなやつか大体分かるんですよ。そういうノリを持ったDJなんて、日本のラジオじゃいまでも数えるほどしかいないでしょう。

©文藝春秋 撮影/石川啓次

 僕はしゃべりのスタイルも、音楽をかけるときと素に近いトークのときとで微妙に変わるんです。曲について考えながらしゃべるときもあれば、次の話題を考えながらしゃべるときもある。音痴な人はまた違うかもしれないけど、大抵、DJは声のキーが曲に合わせて変わるもの。そうやって音楽にのってしゃべるのが上手い人もいれば、五七五調や自分なりの口上を持っている人もいる。ラジオはDJがみんなバラバラであってこそ、初めて面白さが生まれるんですよ。かつてアメリカにウルフマン・ジャック(1938~1995年)というDJがいましてね。

――ウルフマン・ジャックはチャーリー・ツナ(1944~2016年)と並んで克也さんが影響を受けた伝説的なDJですね。