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「警察や消防が遭難者をどれくらいの期間探してくれるかはケースバイケースですが、普通は2~3日、長くて1週間というところです。2週間探すということはあまりありません」

遭難してから死んでいくまでの経緯

 そして6カ月後、Aさんは変わり果てた姿で発見されたのである。この事故を取材した羽根田は著作の中でこう書いている。

〈遺体といっしょに発見された手帳によって、ようやく男性(*Aさん)の足取りが明らかになった。半年前に男性が登ったのは熊倉山であった。そこで遭難してから死んでいくまでの経緯が、手帳には克明に記されていた〉(羽根田治『ドキュメント 滑落遭難』)

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 以下、この羽根田のルポをもとに、Aさんに何が起きたのかを見ていきたい。

 Aさんが辿ったコースは、道標も整備されており、道も明瞭で〈誰でも問題なく歩けるコース〉だったが、Aさんは山頂から下り始める時点で方向を間違えてしまった。本来の下山コースではなく、別の山に通じる稜線コースへ迷い込んでしまったのである。下山コースであれば道はぐんぐん下がっていくはずだが、稜線コースは登り下りを繰り返しながら、ほぼ同じ高度での歩行が続く。

 いっこうに高度が下っていかない戸惑いをAさんは手帳にこう記している。

〈時間が経つにつれて夢中になるばかりです〉〈ササ道になり、夕暮れになり、夢中です〉

「道に迷ったら、引き返せ」

 “道に迷ったら、引き返せ”は山登りの鉄則とされているが、「頭ではわかっていても、ベテラン登山者であっても、それが出来ない人が少なくありません」と羽根田は語る。

「私が取材した災害・リスク心理学を専門とする心理学者によると、引き返すという行動は労力を2倍かけながらスタート地点に戻ることであり、そういうリスク回避の方法を人間はなかなかとれない。冷静に考えれば引き返すことが一番安全な方法であっても、時間的制約や焦り、体力の消耗などによって、正常な判断ができなくなる。とくに体力が低下している中高年層は、なかなか引き返すという決断ができない傾向があるようです。楽観主義バイアスで『そのうちどこかに出るだろう』と思うままに進み続けて、心理的に追い詰められて、パニック状態に陥ってしまう」

写真はイメージ ©iStock.com

 Aさんの場合も例外ではなかった。

〈結局、その日はあちこち彷徨ったあげく、小黒の手前あたりでビバーク(*緊急避難的な野営のこと)をしたようだ。手帳には《人間がダンスをしたり、白衣のふたりを見ました。翌日見たら、木の葉のいたずらでした》という記述がある。道迷い一日目にして早くも幻覚を見ているのである〉(前掲書)