ガンとして動かない犬が後退りを始めた
それでも「行こう」と小さく声をかけてリードで促せば、歩き出すのが常なのだが、このときはガンとして動かない。わざと強く足を踏み出してみるが、必死に抵抗する。ついにはリードを振り切るように後退りを始めた。こうなると無理して進んでもしょうがない。「わかった、わかった」と溜息をついて、踵を返す。来た道を急ぎ足で戻りながら、なぜか先に鳥肌が立ってから、気づいた。
「あの女の人、一度もこっちを振り返っていない――」
普通、自分の後ろから足音が近づいてきて、人が犬と「押し問答」するらしき声が聞こえたら、一度くらい振り向かないだろうか。いや、それだけ真剣にスマホを見ていたんだろう、と思い直すが、「あんなところで?」と反問が湧いてくる。
犬を見ると、尻尾は股の間に入ったまま、ほとんど一目散という感じで来た道を戻っていく。その反応を見て、また怖くなった。女の人が立っていた場所が見えなくなるまで離れてから、一瞬だけ振り返る。もちろん、誰かがついてくるはずもない。ようやくちらほらと人がいる公園まで戻ってきて、一息ついた。犬がブルブルと身体を震わせた。何かのストレスを感じた後で振り払うようにやる仕草だ。
もしかすると「こっちを向いていた」?
それだけの話である。おそらく「怪談」じみた話を書いた後で、神経が昂っていたために、「ただ道に立っていただけの人」に過剰反応してしまったというオチなのだと思うが、後々思い返しても腑に落ちないところもある。いくら日の短い北国の春とはいえ、その時間であれば、人の見分けはつくぐらいの明るさはある。ところがいくら思い返しても、「黒っぽい服を着た女性」という印象だけで、背格好や服の形状、髪型などは、思い出せないのである。
さらにいえば、私は彼女が「こちらに背をむけている」ように感じたが、それは顔のあたりが暗くて見えなかったからで、もしかすると「ずっとこっちを向いていた」のかもしれない。およそ怪談話とは無縁の場所だと思っていたが、後で調べるとネット上で「M」山登山口を心霊スポットとして紹介している人もいた。やはりあれは“妙なもの”ではなかっただろうか――。
「黄昏時」の語源が「誰ぞ彼」であることはご存じの通りだが、まさにその時刻が「逢魔が時」とも称される理由を身をもって思い知らされた出来事ではあった。