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《祝・戴冠式》「皇太子はいい顔しませんでした(笑)」チャールズ国王が初めて採用した“アジア人秘書官”が日本でもたらす「インターナショナルスクール革命」

《祝・戴冠式》「皇太子はいい顔しませんでした(笑)」チャールズ国王が初めて採用した“アジア人秘書官”が日本でもたらす「インターナショナルスクール革命」

2023/05/06

インターナショナルスクール“不毛の地”東京にエリート校がやってくる

 2020年を境に日本はインターナショナルスクールの開校ラッシュに洗われた。同年には広島県で「神石インターナショナルスクール」(全寮制の小学校)、「瀬戸内グローバルアカデミー」がそれぞれ設立されている。そして2022年には「ラグビー校」と同じく英国で“ザ・ナイン”の1つに数えられる名門校「ハロー校」が岩手県安比に開校した。長野県白馬には「白馬インターナショナルスクール」、愛知県には「国際高等学校」が開校。いずれもIBプログラムを提供している。

 2012年から22年までの10年間で、世界のインターナショナルスクールの数は60%増加(8246校から13180校)、生徒数は385万人から589万人へと53%増加した。無論、教育は儲かるものでもあり、全学校の収入は280億ドルから538億ドルと90%の増収になっている(ICS RESERCHより)。

 中でも顕著なのが人口爆発、経済発展が著しいアジア圏でのインターナショナルスクールの増加である。もともと英語がほぼ公用語化しているシンガポール、香港はさもありなんだが、タイのバンコクにすでに89校ものインターナショナルスクールがあるという事実には驚かされる。

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 当然土地の問題があるとはいえ、アジアの国々のそれと比べると日本のインターナショナルスクールの現状はまだまだ“貧弱”としかいいようがない。その “不毛の地”とも言うべき日本に、インターナショナルスクールの代名詞であり、英国最高峰のエリート校の1つである「ラグビー校」が、2023年9月満を持してやってくる。

日本進出の立役者である人物の数奇な運命

 東京・市ヶ谷の一角にある瀟洒なビルの一室を訪ねた。その部屋の扉には『ラグビー校開校準備室』と書かれたプレートが掲げられていた。

「ようこそ。我々の作戦会議室に」

 にこやかに扉を開け、筆者を迎え入れた痩身にして長身の男性こそ、英国の名門パブリック・スクールの日本進出の立役者。名刺にはこうある。

『クラレンス・エデュケーション・アジア(以下クラレンス社) 大代表 フェイフェイ フウ』

 まずこのフェイフェイなる人物の経歴について説明をするのがいいだろう。なぜなら、彼の経歴そのものが「ラグビー校の日本招聘」を象徴しているからである。

フウ・フェイフェイ氏

 フェイフェイが中国・上海に生まれたのは1981年。彼の数奇な運命はここから始まる。物心がつくかつかないかの時期を暮らした上海で、鮮明に覚えている記憶が1つ。

 チンゲン菜を買うために母と並んで順番を待っていたときのこと。母の手には配給券が握りしめられていた。1978年に鄧小平が唱えた「改革開放」により、中国の門戸開放は進み始めていたが、1980年代の中国ではまだこうした風景が一般的だったようだ。

 フェイフェイが来日したのは7歳の時だった。一足先に来日していた父を頼って母とともにやってきた。父は中国では珍しい抽象画を描く芸術家だった。埼玉県狭山市に居を構えた両親は、アルバイトをしながら切り詰めた生活を送っていた。近くのパン屋で不要になったパンの“耳”をもらってきては食事の足しにしていたという。

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