フェイフェイの人生を大きく変えた運命の英国訪問
しかし、“世界の製造工場”となった中国の急激な経済発展は、英国王室の姿勢にも少なからぬ変化を強いる。あらゆる局面で国際的な影響力を高める中国との関係が冷え切ったままでは良くないと、英国王室は次期国王と中国との関係改善のタイミングを探っていた。
そこで王室との関係も深くチャールズ次期国王とも近いデイビッド・タンらが一計を案じた。それが中国で成功した経済人などを英国へ招待するというものだった。大成功した経済人などに混じって、文化人枠のひとりとして選ばれたのがフェイフェイの父だったのである。フェイフェイは父の通訳として英国ロンドンでの歓迎パーティーに出席することになった。これが彼の人生を大きく変える運命の訪問となるのだった。
フェイフェイは訪英した中国側のメンバーの中で最も若かった。そのフェイフェイに関心を寄せたのがイベントの仕掛人であったデイビッド・タンだった。フェイフェイと話し込んだタンは、ささやくようにこう尋ねてきた。
「殿下(チャールズ皇太子)の側近になってみないか」
自らに流れる“血”を考え出した結論
突然の提案に驚き言葉を失った。そしてよくよく、己のルーツについて考えた。フェイフェイの父が抽象画家であることには触れたが、彼の母方は歴史のある実業家一族だった。大陸で中国共産党の政権が成立して以降、戦前に成功していた実業家の一族ほど哀れな境涯に落ちていった。母方の実家もその例に漏れず、改革開放の時代の訪れまでは辛酸を舐めたという。父方の叔父のひとりは、勇躍、南アフリカに渡り、現地でビジネスを興している。一時は南アフリカの長者番付の1位になるほどの大成功をおさめた。
自らに流れるこうした“血”を考えた。
「自分にはサラリーマンのキャリアは無理だろう。なにか自分自身の事業を起こすのだろう」
フェイフェイにはそんな漠然とした思いがあったという。中国人の自分がなんの縁もない英国王室に入る――タンの提案は、フェイフェイの心中に宿るベンチャー精神にかなうものだった。また、文化人類学を修め、フィールドワークに魅せられていたフェイフェイにとって、英国王室の生態系は最高のフィールドワークの対象にも映った。
結論から言えば、フェイフェイはタンの提案に乗った。それから8年。フェイフェイは皇太子チャールズの秘書として、一般の者では伺い知ることのできぬ“魔法の館”のような場所で生活を送ることになる。
フェイフェイはアジア人として初めて採用された秘書官だった。フェイフェイの経歴がアジア人初の快挙であることと同時に、英国王室にとっても彼の存在は“アジアへの窓口”として重要な意味を持った。皇太子の側近をアジア人が務める――それは英国王室、特に来る国王となるチャールズ皇太子の人間性に幅と奥行きがあることを示すのと同義でもあった。無論、懸念の種であった中英関係にもいい影響を与えることになる。デイビッド・タンらの狙いは見事に的中したのだった。