「もう宮殿を去る頃」フェイフェイの決断
クラレンス宮殿の生活が8年を過ぎた頃、フェイフェイはタンにも相談した上でひとつの決断をする。28歳で“不思議の国”に迷い込んだフェイフェイも36歳になろうとしていた。
「皇太子から学んだことをアジアに持ち帰らねばと日に日に思うようになっていった。もう宮殿を去る頃だ」
英国皇太子の秘書として働く――稀有なフィールドワークのアウトプットは、やはり自分が生まれ育ったアジアでするべきだと思った。
「皇太子はいい顔はしてくれませんでした(笑)」
チャールズ皇太子は暇乞いを申し出たフェイフェイを手放すことを良しとはしなかった。フェイフェイは懸命に皇太子を説得したという。あなたから学んだ教えや思想をアジアに持ち帰る時が来たんです――フェイフェイの決意に触れた皇太子は、渋々ではあったが離職を許してくれたそうだ。
イギリスを離れたフェイフェイが英国王室での学びを根付かせる場所に選んだのは、青春時代を過ごした日本だった。
「就学前だからこそ、知識ではなく“本物”を体験させる」
チャールズ皇太子が住む「クラレンス・ハウス」からインスピレーションを得た「クラレンス・エデュケーション・アジア」が東京・表参道に「クラレンス・インターナショナル・スクール」を開校したのは2016年だった。同校は幼稚園相当の子供等を対象とするインターナショナルスクールだ。
日本人の妻との間に英国国籍・日本国籍の両方を持つ息子が生まれ、次世代の子どもたちの教育と彼らの未来について、真剣に考える機会を得た時期でもあった。フェイフェイの教育理念ははっきりしている。
「就学前だからこそ、知識ではなく“本物”を体験させる。そうした幼児教育をしたかった」
同校の教育は徹底的かつ独特な“クラレンス”スタイルである。スクールの近くにある国立能楽堂に行っては、能を間近に観せる。子供たちに本物の能面を被らせ、見て触ったその本物を紙で作らせる。一流のピアニストやバイオリニストを呼び、その音色を聞かせた。英国から「ロイヤルバレエ団」が来日した時は、その控室まで通してもらい、ダンサーたちのしなやかな身体の動きも見せてもらった。
フェイフェイの教育スタイルのモデルになったのが、チャールズ皇太子が自らの名前を冠した子供教育を支援する財団「Children&the Arts」の教育理念だった。早い段階から芸術に触れることによって、児童のその後の人生は実り多いものになる。英国ではすでに50万人以上の児童が財団のワークショップに参加している。フェイフェイの運営する教育施設も同財団と「カリキュラム共同開発」で合意し、ともに活動をしている。
その後、活動を中止した「千代田インターナショナルスクール」(千代田区四番町)を引き継ぐ形で「Phoenix House International School」を開く。現在、日本で小学生に当たる学齢の子供がおよそ210名在籍している。
「自分の経験から言って、小学生の時期は言語習得の最適な時期です」
英国ナショナルカリキュラム基づいた全課程の学習に加え、日本の文科省学習指導要領と連動する日本語の授業、さらには放課後のフランス語、スペイン語、ラテン語、プログラミング言語のクラブがあるという。内訳は日本人がおよそ40%で60%は外国人。フェイフェイは国際レベルの基礎教育を日本に暮らす子供たちに提供しようとしてきたのだ。