いま、全国の温泉旅館は感染対策を施しながら、新たな「おもてなし」を模索している。その最前線に立ち続けているのが、各地の“女将”たちだ。

 長年温泉旅館を取材し、『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)などの著書でも知られる山崎まゆみ氏が、そんな女将たちの“とっておきの仕事術”を紹介する。

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 神奈川県湯河原温泉は、万葉集にも出てくる歴史ある関東の奥座敷。小ぶりな温泉街だが、100本もの源泉を有しており、湯量は豊富。お湯は手の平で転がすと、とろとろ。躍るように生き生きしていて、化粧水のような肌触りだ。

 そんな湯河原で旅館の娘として生まれ育ち、3代目の女将として継承したのが「おんやど惠」の室伏ゆかりさん。一度、家(旅館)を出て会社勤めをした経験が、今のもてなしの根幹となっている。

神奈川県湯河原温泉「おんやど恵」女将・室伏ゆかりさん

トヨタで営業職の経験

 室伏さんは20歳からの3年間、神奈川トヨタ自動車大井松田店(現・トヨタモビリティ神奈川)で営業販売をしていた。自動車が好きという理由でセールスレディーを選んだが、今から40年程前には女性が自動車の営業職に就くのは珍しく、室伏さんは大抜擢。そしてこの時に先輩の姿をよく見ていた。

「営業成績のいい先輩と悪い先輩の違いは顕著でした。成績が優秀な先輩は、人の話をよく聞くタイプ。お客様と雑談をしながら、家族構成や趣味嗜好、休日の過ごし方などライフスタイル全般をヒアリングして、お客様のニーズを把握した上で、ピンポイントで車を紹介していました。それも1車種に絞ってセールスしていたので、お客様も迷わない。

 成績の悪い先輩は、マニュアル通りに全ての車種をお客様に説明していました。すると、かえってお客様は迷い、選べなくなり、購入に至らなかったです」

 営業とは人の話を聞くことから始まると、室伏さんは学んだが、家業である旅館に戻ってしばらくしてから、その大切さに気づいたという。