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武藤 歌・ダンス審査の後に、ちょっとした一問一答みたいなのがあって。その時にあるスタッフさんが「え、これって上から読んでも下から読んでも〈むとうとむ〉だよね?」って気づいてくださって、他のスタッフさんと盛り上がった瞬間に(ありがとうございます!)って思ったことを覚えていますね。

 よくこうやってオーディションの話をすると、「秋元康先生はいましたか?」なんて聞かれます。前後の期のメンバーたちは「秋元先生いたよね~」ってよく話してるんですけど、私たちの時にはなぜかいなくて(笑)。だから同期と話すときは「秋元先生がいなかったから、ちょっと変わったメンバーが集まっちゃったのかな?」なんて話しています。

 

AKBは修行の場 悔しくて家に帰れない日もあった

――超難関のオーディションに合格して、すぐに研究生からチームKに昇格。12年間もアイドルとして活動されてきたわけですが、卒業コンサートでの「AKBの活動を楽しいと思えるようになったのは2、3年前から。それまでは修行の場でした」という言葉が印象的でした。

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武藤 AKBでの活動は、辛いことの方が多かったです。それこそ自分の周りは才能溢れる人ばかりでしたし、本当に何もできない自分に自信が持てない状況が長く続いたので、それがとにかく辛かった。なかなか結果も出せませんでした。ただ、最後の2、3年は、もがきながら頑張ってきたいろんなことがようやく実を結んだような気がします。例えば、気象予報士の資格を取って、気象予報士として仕事ができるようになったとか。FP(ファイナンシャル・プランナー)も正直ここまで仕事に繋がると思ってなかったくらいで。

 もうこれ以上、何をやっていいか分からない。どん底に落ち込んだ日もありました。特に2017年発売のメジャー46作目のシングル『ハイテンション』の選抜発表は、一生忘れられないと思います。直前のシングル選抜総選挙で10位に入った後に、たしか横浜アリーナで感謝祭があって。そこで『ハイテンション』という曲の選抜メンバーの発表があったんですが、AKBで私だけが選抜に入れなかったんです。その日は、家にも帰れなかった。同期のお家に泊めてもらって、一晩中話聞いてもらってみたいな感じでした。それでも、歌番組とか、コンサートでは『ハイテンション』のアンダー(補欠メンバー)には入るわけですよ。スタッフさんに「その衣装めっちゃ似合うね」って言われるのも嫌でしたね。「落としたくせにー!!」ってなる(笑)。

 

――そこからまた頑張ろうって思えたのは、なぜですか?

武藤 いや、頑張ろうってなったのかな?(笑) しばらく「もういい!」みたいな感じだった気がしますけど、やっぱり応援してくれるファンの皆さんの存在ですよね。私が選抜に落ちた瞬間も、感謝祭にはたくさんのファンの方が応援に来てくださっていたので。

 AKBでの活動ってどんどん切り替えないとしょうがないんです。落ち込んでいる間にもグループは進んでいきますし。でも誰かと明確に比べられたり、選抜に落ちたり入ったりとかいう経験も普通に過ごしていたらまあなかなかないことですよね。貴重というか、なかなかな環境で、揉まれていたなって今は思います。

AKBは“究極の体育会系組織” 「熱い空気というか…」

――究極の体育会系組織ですよね。