東京新聞の、この冷静さは何だろう
社説で羽生を取り上げた4紙の最後、東京新聞は、
「羽生・金 宇野・銀 幸せ運ぶ二つのメダル」
幸せ運ぶ?
《二〇一一年三月、日本を未曽有の災害が襲った。東日本大震災である。被災地の人々を励まそうと、日本中が「絆」「繋がり」を合言葉に支援し、復興を後押しした。
日本では、ほぼ同じ時期に無料通信アプリLINEなどのSNSも広がり、若者の間では仲間との繋がりを一層深める新たなコミュニケーションツールとして利用されるようになっていった。》
《ただ、その中で失われていったものもある。絆や繋がりが優先されるあまり、その中にいる個人が埋没してしまい、集団の論理から外れる人を受け入れない「不寛容の時代」と言われるようになったのではないか。》
なんか、産経おじさんが感動して泣いている隣で東京おじさんが急に冷静に語りだしたぞ。
《そのような時代に、自分自身という「個」を表現しきった両選手は、とてつもなく新鮮だった。過去に何人もの選手が襲われ、ふだんの力を出すことができなかった五輪という大舞台の重圧の中で、最初から最後までまぶしいほど輝き続けた。》
各紙「理想の若者」を見たのか、とても満足そう
東京新聞のポイントは羽生・宇野両選手は「自分自身を表現しきれた」という点。
「幸せ運ぶ」とは、
《持ち帰ったメダルを多くの人が笑顔で見て、触れ、感動をよみがえらせ、「応援していて良かった」と喜び、一生の思い出として心の中に宝物として残していく。》
という意味のこと。うまいこと着氷した。
「羽生結弦金メダル」の翌日、社説おじさんは逆境に負けず、強く、感謝を忘れず、「個」を表現しきって結果を残した羽生&宇野に「理想の若者」を見たのかとても満足そうだった(そんな人は若者どころか中年でも滅多にいないのだが)。
4紙の社説おじさんも紙面で舞っていた。いや、舞い上がっていました。