DVDを出すのも後輩のバーターで…
――そもそもグラビアのお話がきたとき、どう思いましたか?
橋本 すごく嫌だったんですよね…。元々女優になりたくて、この世界に飛び込んだわけですから。26歳くらいまでずっとやりたくなかったです。今思うと、写真集やDVDのために、グアムとか海外にもたくさん連れて行ってもらって幸せなことだと思うんですけど。
やっぱり、太陽の下でワーイ!ってするのが苦手だったんですよね。うまく笑えないんです。マネージャーさんにはもっといい表情しなさいって言われるし、でもやりたくないし、なんか合わないなって。空回りしていた感じでした。
――特に辛かった撮影はありますか?
橋本 私がグラビアの撮影が嫌だったから、どう隠そうとか、表情に出ていたんでしょうね。スタッフさんに悪気はないと思いますが、「あなたのこと、誰も見てないから」って言われて。今思うと「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」って私をリラックスさせる意味だったのでしょうね。でも当時の私はマイナスに受けとってしまって。DVDを出すのも、事務所の方に「この後輩のバーター(抱き合わせ)だよ」ってさんざん言われてきたので、私ってダメなのかなって。
どんどん売れていく周囲を見て、「なんで私は…って」
――そう言われて、どんな反応をするんですか?
橋本 「ありがとうございます…」っていうしかなかったですね。それしか仕事がなかったので。周りでは、当時グラビアで仲良くしてきた子たちが、週刊プレイボーイ、少年誌の表紙を飾ったり、どんどん雑誌にも出ていく中で、私は表紙を飾れる実力もなかったし、出ても1、2ページ出る感じで。
――そして「国民的美少女コンテスト」で同期だった方々もどんどん売れていきます。
橋本 上戸彩ちゃんも、「金八先生」に出演してスター街道まっしぐらで、他の子たちもエイベックスから歌手デビューとかファッション誌の専属モデルに抜擢されて。同じ時期に受賞した子たちがどんどん活躍していく姿を見て、なんで私は…って。
当時の私にはそんな華やかな仕事は全然なくて現場に行ったら、ビキニがポンって机に置いてある。そういう仕事に前向きになれませんでした。男性スタッフがたくさんいる中で、何でこれをやらなきゃいけないんだろう、でも私はここから始めなきゃいけないんだろうなって、複雑な気持ちでしたね。写真集のイベントをやったらやったで、5、6人くらいしかお客さんも来なかったです。