「国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞し、期待を背負ってデビューしたが…同期の上戸彩はスター街道を歩み始める一方、自らは「後輩のバーターだから」「需要ないよ」と言われ続けた下積み生活を送ることに。約15年に及んだツラく苦しい日々を振り返る――。(全2回の1回目/続きを読む)

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高校の同級生だった生田斗真くんや尾上松也くんと違って私は…

――山形から上京されて堀越高校の芸能コースに通われました。どんな学生でしたか? 

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橋本 とにかく地味で、大人しかったですね。堀越に通うと当時人気番組だった「8時だJ」に出ている人たちがいる、なんて山形時代は想像もしていなかったですし。東京ってスゴいな!と、遠くから見てました。

撮影 石川啓次/文藝春秋

――当時、どんな方々が通っていましたか?

橋本 同級生は、生田斗真くんや尾上松也くん。一つ上に松本潤さん、水川あさみさんや、平山あやさん。一個下には山下智久さんもいて、スターばかりでした。

 ただ、周りの方はスターなんですけど、私は全然お仕事がなかったです。みんなは早退して、これから収録だ、撮影だって忙しくしているのに、私は毎日ちゃんと学校に行って、皆勤賞で。修学旅行も1週間くらいありましたが、皆さんは3日くらいで帰っていく中で、私は1週間全部参加できちゃって(笑)。役者で忙しい人のために作られた“芸能コース”で皆勤賞って何やっているんだろうって。

――芸能界に入ってどんなお仕事からスタートされましたか?

橋本 CMのお仕事とか雑誌の表紙など、当時、私が所属していたオスカープロモーションがたくさんお仕事を用意してくださったんです。でも、全然うまくできなくて失敗ばっかりで。不器用なので、一言の台詞でも何回もNGを出してしまったり、雑誌の表紙もうまく笑えなくて、注意されたり。全然仕事も続かないし、だんだん声がかかることが少なくなっていきました。