約15年に及ぶ下積みを経て「国民の愛人」としてブレイクした橋本マナミ。覚悟を決め、自分の居場所をようやく掴んだ日々、そして本当はなりたかった“存在”とは――。(全2回の2回目/前編を読む)

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仕事もなく崖っぷち。そんな時、手ぬぐいと紐だけのグラビア撮影に挑んだ

――グラビアはずっと嫌だったと仰っていましたが、26歳で事務所を移籍後、再びグラビアのオファーがきてどう思いましたか?

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橋本 仕事もなくて崖っぷちだったので、自分にはそれしかないって、覚悟が決まりました。今までビキニが嫌だとか、どうやって隠そうってことしか考えてなかったんです。でも、FRIDAYのグラビアの撮影ではポロリしようが、見えてようが、読者に何か伝わるならもうどうでもいいやって。手ぬぐいと紐で隠すとか、浴衣は着るけど下着はつけてないとか。露出度も高かったんですけど、そんなのも全然気にならなかったです。

撮影 石川啓次/文藝春秋

――手ぬぐいと紐とは、どのようなシチュエーションだったのでしょうか。

橋本 温泉の中で撮影したんですけど、湯船の中で手ぬぐいがフワ―ってなって隠すとか。でも、全然アンダーも見えていたし、隠せてない写真が出ちゃったこともあるんですけど(笑)。ニプレスも一応貼ってはいたけど、男性スタッフに見えても気にしてなかったですね。あとは、お湯から上がって床で寝たり、畳の上ではだけるとか。

 そこで撮ったグラビアの反響が、結構大きかったんです。その後も撮りおろしが続いたり、他の雑誌から声が掛かったり、DVDのお仕事がきたりして。今までリピートが続くなんて一回もなかったから、本当に嬉しくて…!

 あと、カメラマンさんも10代の頃からお世話になっていた橋本 雅司さんだったので、私の良さをご存知で、すごく安心してお任せできましたし、色々な表情を撮って頂きました。

撮影 石川啓次/文藝春秋

――仕事への意識が変わって、また違った表情が出てきた、ということでしょうか?

橋本 仕事への意識もあるし、10代の頃は、「笑顔」とか「元気」を求められることが多かったんです。カメラマンさんも私をどうやって笑わそうかって考えて下さったと思うんですけど。でも、私が20代後半に壇蜜さんのようなグラビアが流行ってきたんです。木陰でしっとりするとか。アンニュイな感じとか。そうなると、私も頑張って笑うことを求められなくなって、やりやすくなってきたんですよね。

 元々10代の頃から大人びているねって言われてきたんですけど、20歳を超えて外見と年齢がマッチしてきて、ちょうどいい感じになってきた気はします。