――上戸さんを初めてみたときの印象は覚えていますか?
橋本 当時小学6年生くらいだったのかな。みんなの中で一番小柄で、ほんと少女というか、みんなの妹のような可愛いらしい感じでした。「国民的美少女コンテスト」は中学生がたくさん集まっていて、やっぱり目立ちたい子が多いんですよね。どう自分をアピールするかって楽屋で話をしている人が多い中で、彩ちゃんは前に前に出てくる感じじゃなかったけど、可愛くてキラキラしていました。
私も同じタイミングで「国民的美少女コンテスト」で選んで頂いて、スタートラインも一緒だったはずなのに、なんで私は毎回オーディション落ちちゃうんだろう。せっかく「国民的美少女コンテスト」っていう、いいラインからスタートしたのに、なんで仕事が続かないのかなって。だから、どうにかして追いつきたい。嫉妬とかは全然なくて、自分に何が必要なんだろうって思う方が強かったですね。
着付けを練習したら「そこに需要はない」と言われて…
――何か工夫をされたり、ステップアップのため努力されたことはありますか?
橋本 私は元々お芝居がしたくてこの世界に入って来たんです。自分でもお芝居のワークショップに積極的に通ったり、フリートークがうまくなるような話し方教室に行ったり、不安な気持ちを埋めるかのように動きました。
事務所にも「どうやって仕事が増えるようにしたらいいですか?」って聞いたんです。「無名な人は、何か武器がないと難しい」と言われたので、19歳の頃、海老蔵さん主演の大河ドラマ「武蔵」に出させて頂いた時に、着物が似合うって言われたことを思い出して。日本舞踊を習ったり、自分で着付けができるように練習して、マネージャーさんに「これで売り出しませんか?」って提案したら、そこには需要はないと言われました。
他にもゴルフを身に着けようと思って、ビルの屋上にある、1時間1000円くらいの打ちっぱなしに通って練習したんですけど、スコアが100切らないと難しいって言われたり。今は、結果的にゴルフの番組も持てたので良かったんですけど、当時はやることなすこと、全てうまくいかなかったです。
――お仕事が思うように進まない中で、収入面での不安はありませんでしたか?
橋本 「国民的美少女コンテスト」で、オスカープロモーションに所属して、お給料も家賃も出してくれたんです。だから生活はどうにかできていましたが、交通費とかですぐ飛んじゃうので、バイトをしていました。賄のあるランチのバイトやテレオペ。倉庫でひたすら切手を貼る仕事とか、パーティーでワインを渡すバイトもやっていましたね。でも、ちょこちょこグラビアも出てはいたので、たまにバレちゃうんですけど(笑)。