月刊「文藝春秋」の名物政治コラム「赤坂太郎」。2023年6月号「岸田が描く『総裁再選』のウルトラC」より一部を転載します。
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「鈍感力」を武器にした岸田首相
「たとえ1年間であっても、一度でも権力に酔い、権力から何らかの報酬を得たことがある者は、自ら進んで権力を手放すことはできない」
18世紀の英国でフランス革命を批判し、「保守思想の父」と呼ばれるエドマンド・バークが喝破した権力の魔力だ。230年余を隔てた極東の島国の首相も権力に魅入られ、その維持に計略をめぐらせる。
「補選は全勝だな。こりゃ!」
4月15日夕、首相の岸田文雄は衆院千葉5区の駅前2カ所で街頭演説を終え、満面の笑みで秘書官たちにこう語りかけた。会場が常ならぬ熱気を帯びていたのは、同日午前に和歌山市内の漁港で岸田に向かって爆発物が投げ込まれたからだった。野次馬が集まっただけなのだが、岸田はこれを自らへの声援と勘違いし、アドレナリン全開の状態だった。
事件後も選挙活動を続けることは岸田の意向で決まった。漁港から和歌山県警本部に退避した岸田に、警察側は「リスクが残る」と選挙演説の続行に難色を示した。容疑者の動機や背後関係は不明で、単独犯なのかどうかも判明していなかった。次に予定していたJR和歌山駅前の街頭演説で、再び狙われないとも限らなかった。
だが岸田にすれば、補選自体が政権の命運を左右するリスクにほかならない。リスクを取らずに権力は維持できない。
「リスクなんてどこにでもある!」
警察側の懸念を一蹴した岸田は幹事長の茂木敏充や選対委員長の森山裕に電話を入れ「選挙活動はそのまま進めましょう」と伝えた。事件の1時間10分後には和歌山駅前に立ち、「この大切な選挙を最後までやり通さなければならない」と訴えていた。
政治家の多くは、結果的に当選につながるなら、選挙運動中に暴漢に襲われて負傷する程度のことは厭わない。それが権力の魔力だ。むしろ事件が悪質であるほど、大きく報じられ、自分の知名度は上がる。民主主義への挑戦だと非難しながら選挙活動を続ければ、同情票を集められるとの計算もある。
元首相の安倍晋三が銃撃されて死亡したのは、わずか9カ月前だ。岸田はここぞという場面で持ち前の「鈍感力」を遺憾なく発揮した。
事件後、内閣支持率は跳ね上がった。
ANNが事件当日と翌日に行った世論調査では支持率は45.3%となり、3月より10.2ポイント上昇した。読売新聞による事件当日を挟む14~16日の調査では、事件前の支持率が40%台前半だったのに、事件後は50%に上がった。ある自民党幹部は「首相が選挙活動を続けると判断したことが国民に評価された」と笑いをかみ殺した。