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「22期はホントにキングコングが好きなヤツが多くって。憧れの的なのよ。めちゃくちゃ漫才を先生から評価されてるし、テレビも出てるし。ムカつくのが、ちょっと良いヤツなの。みんなが好きになる、あいつらだったらしょうがねぇか、みたいな。そんな中、俺とネゴシックスだけは、近所のドトールコーヒーでずっと悪口言ってたけどね。悪口をいっぱいノートに書いたヤツを、わざと忘れて帰ったりしてたから(笑)」(※3)

 キングコングはNSC在学中の2000年3月に、コンビ結成わずか5ヶ月、19歳の若さでNHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞する快挙を果たす。講師をして「もう今年はキングコングが出たからええやん」とまで言わしめ、通常は先輩が務める卒業公演のMCもキングコングが務めた。

「『芸人っていうのは仲悪いもんだ』っていうカッコいいものじゃなくて、本当に嫉妬のバケモンだから。俺、マジで卒業公演でキングコングがMCやってる時に、血のションベン出そうだったもん、悔しくて」(※4)

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 キングコングは同年8月に『新しい波8』(フジテレビ)に出演。これが評価される形で、2001年、フジテレビ伝統のユニットコント番組の系譜である『はねるのトびら』のレギュラーに大抜擢され“スター街道”をひた走った。

 山里は彼らの凄まじさを「俺たちはやっと全力疾走で走ったら原付くらいのスピードを出せるようになってきた、そこにいきなりF1カーが突っ込んできた感じ」(※2)と表現している。

解散、そして“転機”となる出会い

 そんな“本当の天才”を目の当たりにして焦燥感と嫉妬心を募らせた彼は間違った方向に向かってしまう。

「自分を高めることをせずに相方のあらを探し、そこを攻めることにより得る優越感」(※2)を優先してしまったのだ。

 結果、卒業間近には、キングコングは別格としても、それに次ぐ存在になっていた山里と水上(ドラマでは九条ジョーが演じた宮崎)のコンビ「侍パンチ」は、水上の「もう許してくれ……」の一言で、卒業を迎えることなく解散した。

 新たな相方・西田富男(ドラマでは清水尋也扮する和男)を迎え「足軽エンペラー」となっても、山里は自分の「天才性」を“証明”するために躍起になっていた。

©文藝春秋

「そのときのネタは、僕は自分でやっていて楽しいものではなかった。そのときはそれが当たり前だと思っていた、楽しいはずがない。仕事なんだから、と。というのもその当時のネタはこだわりのない、公式を考え、そこにそのとき流行っている単語を当てはめるというものだったのだ。クリエイティブとは程遠い作業だった。(略)ただそれがある程度はうけてしまう、だからまたそこを一生懸命作ろうと考える、だめなループだった」(※2)

 程なくして、足軽エンペラーは当時の人気番組『ガチンコ!』(TBS)への出演のチャンスを得て、山里の高い戦略性が功を奏し優勝。しかし、これからという時に、相方が山里との“主従関係”にキレて解散を余儀なくされてしまうのだ。

 相方を失い、芸人としての方向性も見失った山里。そして、遂に彼の転機となる出会いが訪れる。

 笑い飯と千鳥だった。