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「胡錦濤とはうまくいった」

 2006年9月に発足した第一次政権で、安倍が最初の外遊先として選んだのが中国だった。これは日米同盟を重視し、訪米を続けてきた歴代政権の慣例を破る意外な選択だった。幹事長代理、官房長官時代に、小泉純一郎首相の靖国参拝を批判する中国に対して「内政干渉だ」と強硬な姿勢を崩さなかっただけに、訪中は予想外と受け止められた。

 当時の取材メモを見返すと、2006年10月10日付で、安倍のこんな言葉が残っていた。

「胡錦濤との日中首脳会談は、予想以上にうまくいった。実は外務省があらかじめ用意していた応答要領には『村山談話』など中国への戦争責任の謝罪に触れる話が書いてあったんだ。でも、わざわざ会談の場で自分から持ち出す必要はないと思って、中国へ向かう飛行機の中で『多大な苦しみ』とか『戦後60年経った想いは同じ』といった言葉に書き直したんだ。会談当日も自分の言葉で話すよう努めたよ。

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 外務省の案には『自由と民主主義と法の支配』という私が好んで使うワードも入っていなかったので、会談の場では自分で使った。どうやら外務省は、そうした言葉を使うことで中国が気を悪くすると心配したのだろうけど、会談の場ではきちんと自国の主張をして、多少強く押したとしても失敗しないものだよ」

 安倍政権において中国外交のキーワードとなる「戦略的互恵関係」を打ち出したのも、この時の成果だ。

 ただ、これ以降、安倍は中国にほとんど言及していない。度重なる閣僚の不祥事に伴う辞任ドミノや年金記録問題、参院選での惨敗など、内政の対応に追われ、とても中国との関係を深める余裕などなかったというのが実情だろう。

 第二次政権発足当初、日中関係はかつてないほど険悪な雰囲気だった。2012年9月に民主党政権下で日本が尖閣諸島を国有化し、さらには13年12月に安倍が靖国神社を参拝したことで、中国の激しい怒りを買ったのだ。

尖閣諸島  Ⓒ共同通信社

 14年11月に安倍は習近平と初の首脳会談に臨んでいる。だが、最初に安倍が「お会いできて、非常に嬉しい」と笑顔で挨拶をしても、習は何も答えず、憮然とした表情で視線を逸らしたのだ。

この連載をまとめた『安倍晋三実録』が6月21日に刊行予定です。

岩田明子氏の連載「安倍晋三秘録」の最終回全文は、「文藝春秋」2023年6月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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習近平との一触即発