日清焼そばU.F.O.のTVコマーシャルで、一世を風靡した「U.F.O.仮面ヤキソバン」。同作で初めてヒーローを演じたマイケル富岡さんは「ヤキソバンがターニングポイントになった」と振り返る。

「ヤキソバン」という出世作を得たことで、彼の人生はどう変わったのだろうか?(全3回の2回目/#1#3を読む)

マイケル富岡さんが30年前に演じた「ヤキソバン」を今も愛し続ける理由とは? ©松本輝一/文藝春秋

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ヤキソバンのおかげで「国民から愛される存在」に

――「ヤキソバンブーム」が訪れてからは、子供たちからの反響がすごかったと聞いています。

マイケル富岡(以下、マイケル) それまでは子供との接点が皆無で、ましてや声をかけられることなんてありませんでした。でもヤキソバンをやったことで、街なかで、「あー! ヤキソバンだーー!!」などと言われるようになりましたね。

 イベントでは、ショッピングモールのような大型商業施設に行くことも多かったんですが、そういった場所で人前に出るのも初めてでした。ヤキソバンのおかげで、人と直接触れ合う場が一気に増えましたし、家族層を前にしている自分が新鮮でした。「俺もファミリー向けに何かできるんだ!」という驚きと喜びがありましたね。

――「ヤキソバン」として人前に出たことで、新たな発見があったんですね。

マイケル そういう経験を通じて、焼そばは子供から大人まで全世代に受け入れられる国民食で「ヒーロー」のようなもの――今の僕は国民的な存在なんだ、という実感が少しずつ湧いてきました。

――懸賞用のスーパーファミコン用ソフトとして制作されたゲームが話題になり、後に一般販売されたこともありました。

マイケル グッズ展開も本当に多種多様で、ぬいぐるみから、キーホルダー、文房具、限定の寝袋や一輪車なんかもありました。一輪車は「ヤキソバンは普段、一輪車に乗って遊んでいる」という設定から生まれたグッズなんです。実際CMでも乗ることになって、僕自身が一輪車をマスターしなきゃいけなかったんですよ(笑)。

――大変(笑)。