1990年代前半に「日清焼そばU.F.O.」のTVコマーシャルで、熱烈な人気を誇った「U.F.O.仮面ヤキソバン」。
タレントのマイケル富岡さんが演じるヤキソバンが、悪の親玉・ケトラー(デーブ・スペクター)から日本の食生活を守るために戦いを繰り広げるストーリーで、「ソースビーム」や「あげ玉ボンバー」といった、焼そばにちなんだ必殺技を覚えている人も多いのでは。
マイケルさんの名前を世に広めた“代表作”と言っても過言ではないが、実は本人いわく「演じることへの葛藤」もあったという。今年でヤキソバン誕生から30年になる節目に、当時の思い出を振り返ってもらった。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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現場で絵コンテを見たときは「固まった」
――ヤキソバン、もう30年前になるんですね。90年代の子供たちに強烈な印象を残しました。
マイケル富岡(以下、マイケル) 放送自体は2年弱(1993~1995年)で、それほど長いわけでもないんです。ただ、グッズやゲーム、まさかの映画にまで発展したこともあって、自分の中ではまさに夢のような時間でした。
――マイケル富岡さんが30代の頃ですね。どういった経緯でCMのオファーがあったんですか?
マイケル その頃、僕はお芝居や、バラエティー、司会の仕事などで多忙を極めていて、CMの話はマネージャーから「焼そばU.F.O.でヒーローもの」と聞いていたぐらいでした。実のところ、内容を深く把握してなかったんです。
それでも自分なりにヒーロー像を思い描いていたのですが、現場で初めて絵コンテを見て、固まってしまいました。これは時間が必要だなと思って、トイレに行って……。
――なんの時間が必要なんですか(笑)。
マイケル まあ……心の整理(笑)? すごく恥ずかしいんですけど、僕は「ヒーローもの」と聞いて、仮面ライダーやウルトラマンのような「カッコいい」ものをイメージしてしまっていたんです。このCMでビシッと決めて、モテちゃおうという色気もありました(笑)。
でも、絵コンテの内容は真逆でした。なにしろ赤と黄色のタイツ、頭には焼そばを被っているわけです。セリフも「ソースビーム!」とか「あげ玉ボンバー!」とか……ヤキソバンのようなファニーなものが、当時の自分の中にはなかったんですよね。
――でも、制作陣はマイケルさんに是非やってもらいたいと。「なぜ自分だったのか」という理由は聞きましたか?