――生まれる前から期待がかけられていたというのはプレッシャーですね。
「ですから、『男らしく』というのは私の人生に課せられた絶対的なルールだったんです。京都の大学を卒業後、証券会社への就職を経て、通信系の商材を扱ったり、古物商を経営したりしてきました。社会人になってからは、少しでも多くのお金を稼ごうと働きまくっていましたね。嫁いで家庭に入っていた姉2人とは対照的に、両親は私に対して“経済的な男らしさ”も求めたんです。親が抱えていた借金も返せるくらい稼いだので、そこは両親の期待にも応えられたと思います」
1カ月で20人とセックスしたことも
――ご結婚もされてたんですよね?
「私生活で大きな転機が訪れたのは28歳の頃ですね。シングルマザーのキャバ嬢と本格的な恋愛をしたんです。この女性とは長い間内縁関係にありましたが、33歳の頃に籍を入れています。当時の私は太っていたし、すごくモテていたわけではありませんでした。ただ、女性に尽くすタイプだったし、どうすれば女性とセックスできるかということばかり考えてはいましいた。こう見えても駆け引きはできないので、ストレートに愛情表現することにしています(笑)」
――キャバ嬢を落とすイケイケ経営者ですか(笑)。
「お金で女性を落としているというつもりはありませんでしたが、妻と入籍する時にはすでに100人ほどの女性と関係した経験はありました。出会い系サイトの『スタービーチ』が全盛の頃で、1カ月で20人とセックスしたこともありましたよ(笑)。妻とのお付き合いが始まって、『夫』であると同時に『父親』という役割ができました。会社には愛妻弁当を持って行き、休日には子供を市民プールに連れて行きましたね」
姉の死がきっかけで無理をしていた自分に気づく
――理想的な家族像のように思えます。
「しかし徐々に“いいお父さん”、“いい旦那さん”像に違和感を覚えるようになりました。自分は本当にいいお父さんなのではなく、その役割を演じているだけなのではないかと思うようになっていったんですね。もちろん家族との生活は充実して楽しいんだけど、何かが違うというか、無理していたというか……」
――居心地の悪さがあったんでしょうか。
「それをハッキリ意識したのは、姉を亡くしたことがきっかけです。亡くなった次姉は長らく姑さんと同居していたのですが、あまり折り合いが良くなかった。そんな家を出るために、夫婦で新築住宅を購入したんですが、すぐに旦那さんの仕事がうまくいかなくなってしまったんです。姉は家計を助けようと、夕刊の配達、夜勤の工場で働いていた一方で、旦那さんのDVにも苦しんでいたんです。結婚にあたって家出同然で生まれた家を飛び出たこともあり、実家を頼ることもできずに、精神的に追い込まれていきました。