貧困問題や人権、家族の問題などを取材する作家・ジャーナリストの吉川ばんび氏(31)。吉川氏は「機能不全家庭」で育ち、そのトラウマに苦しめられて「精神疾患」を患った当事者でもある。いったい彼女は、どのような家庭で育ち、どんな苦しみを味わって生きてきたのだろうか。

 ここでは、吉川氏が自身の実体験をもとに貧困・虐待家族のリアルを綴った著書『機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで』(晶文社)より一部を抜粋。彼女が家庭で受けていた虐待の実態や、共依存に陥っていた母親との複雑な関係性を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージです ©iStock.com

◆◆◆

ADVERTISEMENT

自分を蝕む過去

 子ども時代からこれまでの間に母親や父親、兄から言われた言葉や受けた暴力の記憶は、まるで昨日起こったことのようにすべてが鮮明で、今でも自分を内側からじわじわと蝕んでいます。

「あんたのことはね、作る気なんかなかったよ」

 母親にとっては何気なく発した愚痴なのかもしれませんが、子どもの頃の私にとっては ショックだったようで、まるで心臓に刺さっている杭のように、触れることすら命取りなものとして長らく放置してきました。

 親から子への、存在の否定。その傷を深掘りしていくことは、自分の存在意義、根本そのものを揺るがすほどに危険なことです。

 おそらく母親に言わせれば「そんなつもりはない、大げさだ」「愛してるのがわからないのか」と激昂しそうなものですが、私の痛みは、私にしかわかりません。母親にとって、いくら私を愛して育てていたという自負があろうと、私の痛みは、私だけのものです。この傷だけは、誰からも、否定されるべきものではないはずなのです。

「母親から虐待されていた」と確信していた兄

 それほどまでに目をそらし続けてきた傷と、私が真正面から向きあうことになったのは、やはりスキーマ治療(編注:「認知行動療法」を中心にさまざまな心理療法の理論や技法を取り入れた統合的な心理療法)がきっかけでした。29歳になって、ようやく自分が「虐待されていた」と認めて、受け止められるようになったのです。

 これまで、私は頑なに母親のことをかばうように生きてきました。子どもの頃から母親は私にとって、この世界で唯一と言ってもいい精神のよりどころでした。

 そのため「自分が母親からひどいことをされていた」と思うことは、唯一、自分に「本当の愛」を与えてくれる存在そのものの否定であり、そうなれば、私は誰からも存在を承認してもらえず、必要とされない人間であることが決定づけられるようで、絶対に認められないことだったのです。

 その点、兄は私とはまったく違いました。兄は子どもの頃、少なくとも中学生にもなる頃にはすでに「母親から虐待されていた」と確信していたようです。