私が兄の心境を知ったのは、彼が家で暴れて、私や母親に暴力を振るい、大声で怒鳴り散らしていたときのことでした。兄はたびたび、母親に向かって「俺はお前に虐待されたから、おかしくなったんや」と喚(わめ)き、「俺の人生どうしてくれるんや」と母を責め立てました。
兄の言う通り、母親はしばしば、兄を激しく殴っていました。兄はもともとかなりの小心者で、未熟児として誕生したためか発育もまわりと比べて遅く、加えて気性がかなり激しい子どもでした。小さい頃は母親に怯えるだけでしたが、成長するにつれて母親に対しての反発は強まり、自分で感情をコントロールできない様子が垣間見られました。
「私だけでなんとか立派に育てなければ」強迫観念で子育て
母親を恐れて萎縮してしまった私とは真逆に、兄は母親をわざと挑発し、激怒させようとする癖がありました。母親の目の前で理由なく私を殴ったり、母親に暴言を吐いたり、母親の両親、つまり祖父母への罵詈雑言を口にするなどし、“わざわざ”母親の怒りを引き出していたのです。
そのたび母親は激昂し、金切り声を上げながら兄に摑みかかり、馬乗りになって制止したり、そのまま皮のベルトで顔を殴ったりしていましたが、兄が小学校の高学年くらいになると、だんだん体が大きくなり、もはや力では敵わなくなっていきました。
母親はおそらく、このときをずっと恐れていたのだと思います。父親が子育てにまったく参加しなかったためか、母親は半ば強迫観念的に、たびたび私と兄について「私だけでなんとか立派に育てなければ」「私が矯正しないと」と話していました。しかし母親の思いとは裏腹に、皮肉にも私たち兄妹はタイミングの差は大きくあれど、結果として2人とも、狂っていってしまったのです。
共依存だった関係
私と母親は絶縁状態となるまで、共依存と呼ばれる関係でした。
共依存とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存して、その人間関係に囚われている嗜癖状態のことで、共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし、自分の望む行動を取らせることで自身の心の平穏を保とうとします。
劣悪な環境下で、私は母親にとって「運命共同体」のようなものであり、唯一の精神的な支えとしての役割を果たすようになったのでしょう。母親は無意識のうちにか、子どもの頃から私に強く依存し、心理的に支配しようとしていました。
母親は私が外で人間関係を作るのを嫌がり、しばしば外の世界から隔離しようとしていたように思います。私がまだ小学校低学年くらいの頃に、母親から言われた忘れられない一言があります。