話は精神面だけに留まらない。作品づくりは毎回、経済的にも身を削っていく行為となる。創作のために毎度「持ち出し」をしているからだ。
大橋仁は腕利きの写真家としても知られるが、その手腕でせっせと稼いだ元手を注ぎ込んで、自分の表現としての写真集をつくってきたのである。
「写真集制作に全財産注ぎ込むなんて、アンタ狂ってる」
「たしかに、3作目と今作に関しては、印刷費や製本代、デザイン料もすべて自分で負担して身銭を切ってやってます。そもそも僕がつくるような写真集は誰に頼まれて撮るものでもない個人的なものばかりですから、そこにお金を出してくれる奇特な方はいらっしゃらないですね。なので制作するだけで、何百万円という単位が懐から出ていってしまう。今回の『はじめて あった』は大掛かりな撮影をしてないからまだマシですけど、それでも、何年もかけて完売したとしてもギリギリ赤字です。
近年は印刷に使える紙の種類がどんどん減っているのに加え、紙代やインク代の高騰で、1冊作るのにとんでもない金と時間がかかります。制作費が高いと1冊の価格設定も必然的に高くなってしまう。おまけに写真集へ興味を持つ人の数は年々減少していて、そもそも注目してもらえない。制作するのに非常に金と時間がかかるわりに全然売れないものなので、市場はどんどん縮小していき、作家の作品集としての写真集の世界はいまや、瀕死の状態です。
思えば前回の『そこにすわろうとおもう』なんて、とんでもないことをしていました。被写体になってくれる300人を雇って、動画を撮影する大きなスタジオを押さえて、クレーンを使って撮影したり、100人を洞窟に連れていって撮影したり。もちろんすべて自腹。結果、世田谷の外れあたりの一軒家を買えるくらいの金額を、あの一冊をつくるために注ぎ込みました。税理士さんから、稼いだ金はふつうマンションなり家なりモノに変えますよ、本なんて作っても消えていくだけでしょ、そんなものに溜め込んだ全財産を注ぎ込むなんてアンタ狂ってると、何度も言われました」
さらには刊行後にもダメージが重なる。
「『そこにすわろうとおもう』を出したあと、写真撮影の仕事に関しては一時期かなり減りました。そりゃあ全編これ裸と裸のぶつかり合いの写真集なんか出して、好き勝手に自分のつくりたいものをつくるなんてことをやっていれば、怖いというか、カメラマンとしては扱いづらいんだと思います。現代は品行方正が好まれるSDGsな世の中だから、イメージ的にも代償を払わされているんでしょう。これでも自分なりに品行方正でSDGsな作品をつくっているつもりなんですが」
その証拠に『そこにすわろうとおもう』は2013年、フランスで開かれる世界最大の写真集見本市「パリフォト」で、その年に出版された世界中の写真集のベスト10に選出されている。表現として世界的評価を受けているのだ。
「それでも日本写真界では、大橋はやってはいけないことをやったと断罪する人間もいたといい、内容的にも黙殺された本になりました。やってはいけないこととは何だろう、表現とは何だろうと考えさせられました。ダメージも甘んじて受け入れるしかないんでしょうね」
そんな痛い目に遭っても、また同じやり方で写真集をつくるのはちょっと不思議にも思える。なぜみずから修羅場へ飛び込んでしまうのか。そこには外から見えぬ何か、特別な魅惑があるのだろうか?