これほど観る側の神経に直接触れてくるような表現も、またとない。
写真界きっての鬼才、大橋仁がこの春に新作写真集『はじめて あった』(青幻舎)をリリースした。
艶かしい裸体、色とりどりの下着の山、煌めく昆虫の体表、そして病んだ老女の姿……。被写体はさほど特別なものでないのに、なぜか一枚ずつの写真から凄絶さと切迫感が滲み出ている。
この溢れる異様なエネルギーの正体やいかに。写真家本人は、
「命の記憶の本をつくった。これは自分の命の生体解剖図鑑でもある」
と称するのだけど、それはいったいどういうことか。一冊に込めた思いを聞こう。
性癖を見極めた末に、パンティによる「欲望の絵」が生まれた
大橋仁はここ十年来、新作写真集の構想に没頭してきた。自分の内側にドロドロと流れる生命の核のようなものに、写真によって具体的なかたちを与えんとしていたのである。
構想の素となったのは、自身の母親の死と直面した体験だった。
母の死を思いながらした射精
「高齢になったおふくろさんは病気が進行して、入院生活になりました。もう先が長くないと言われるようになったある日、見舞いに行って髪を撫でたり身体を拭いたりしていたら、その感触が手のひらからしばらく消えないままになった。
自分にも生活があるので、それでも構わず日常へ戻っていくじゃないですか。ある夜、自分の彼女の身体に触れたとき、彼女の『生の盛り』な肌の質感と、おふくろさんの『もうすぐ命尽きる者の質感』が、不意に手のひらで重なった。瞬間、小さな雷が自分の手のひらから脳に突き抜けたような衝撃が走ったんです。
生命の根源というか、剥き出しの生命のありようというのか、とんでもなく生々しいものを垣間見た気がした。呆然としながらそのまま彼女との行為を続けて、母の死を思いながら射精をした瞬間、自分の脳裏には、ありとあらゆる命の循環がよぎっていきました」
手のひらに感じた異様なスパークを起点に、作品をつくってみよう。大橋はそう心に決めた。
それでまずは、母の姿は折に触れて撮り継いでいった。亡くなった後も、葬儀の様子を撮ったり、家族が長年暮らした実家が取り壊されるさまを写真に収めたりした。
同時に、「手のひらのスパーク」時に垣間見た「生死のはざま」「命の循環」へも想いを馳せ続けた。遺骸からは消えてしまうのに、なぜ生きている人間の肉体からはエネルギーが湧き上がっているのか? なぜ自分は肉欲から離れられないんだろう? 肉欲とは何ぞや? 肉欲の発露する場所には何があるんだろう? と考えていった。