しかし、プロ入り後は甲子園で不調が目立った。清原が巨人時代に甲子園球場で放った本塁打(年度別)は次の通り。
1・1・3・1・1・1・5・0・1
これに対し、東京ドームでは、
17・10・4・5・20・7・9・9・10
驚くほどの違いがある。ドームで年間約60試合、甲子園では約10試合と試合数の差はあるにせよ、高校時代とプロでは「甲子園での結果」がまるで異なる。甲子園ナンバー1バッターだった清原はプロでもホームランを525本放ったが、憧れの地である甲子園では14本にとどまっている。
これもゴールドシップを彷彿とさせる。そう、東京コースでの結果だ。3歳時(人間でいえば高校時代)は共同通信杯を勝ったもの、古馬になるとジャパンC15着、2年後のジャパンCも10着…。
清原は藪恵壹からたびたび死球を食らうなど、阪神戦ではたびたび怒りにかられた。ゴールドシップも東京コースの日本ダービーで展開に恵まれず5着に終わっている。
清原=甲子園、ゴールドシップ=東京コース。この2つは「見えないトラウマ」だったのかもしれない。
「気分が乗ると成績もよくなる」。この点も似ている。清原はホームラン・打点・打率の打撃タイトルをついぞ獲得できなかったが、短期決戦の日本シリーズでは打ちまくり、優秀選手賞や敢闘賞を合計5回獲得している。
ゴールドシップも連続好走(連続3着以内)は28戦中11回(合計17レース)。しかし3レース続けての好走は、古馬以降は皆無だった。
対戦相手とトラブルになったことも…
ここまでは成績を見てきたが、次に「性格と気性」を比べてみる。
清原で思い出すのが「バット投げつけ事件」だ。1989年9月23日。西武球場で行われたロッテ戦で死球を受けた清原は、マウンドの平沼定晴に向かってバットを投げつけヒップアタックをした。
両軍入り乱れる乱闘の末に退場処分となったが、ゴールドシップが威嚇してきたトーセンジョーダンにキレたとのエピソードは有名だ。
最後に。現役時代の清原は女性が大好きで、夜の帝王とも言われた。ゴールドシップも種付けが得意だと聞いている。
清原もゴールドシップも本能に忠実だったのだろう。優れたアスリートのもう一つの顔にとてつもない好感を覚えてしまう。
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