覚せい剤取締法違反で逮捕された後の清原和博(54)の4年間を追ったノンフィクション『虚空の人 清原和博を巡る旅』(文藝春秋刊)。前作『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋刊)で大宅賞を受賞した鈴木忠平氏は、なぜ清原に引き寄せられたのか。
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2018年に清原さんから預かった「桑田のグラブ」
昨夏のことだった。地下鉄の通路を歩いていると携帯電話が鳴った。清原和博さんからだった。付き合いがあるわけではない。継続して連絡を取っているわけでもない。それでも、毎年夏になると、清原さんから唐突に音信があった。
「あの、桑田のグラブ……まだ手元にありますか?」
清原さんはいつものように前置きなく、そう言った。
「桑田のグラブ」とは文字通り、PL学園時代のチームメイトである桑田真澄さんのグラブのことだった。
2018年の夏、私はスポーツ雑誌Numberの取材で、清原さんとともに甲子園100回大会の決勝戦を観に行った。まだ執行猶予中だった清原さんは試合の後、私に赤茶色のグラブを差し出した。
「これ、桑田に返しておいてもらえませんか?」
それは高校3年の夏、1985年の甲子園で優勝した後に、桑田さんと交換したものだという。愛憎半ばする桑田さんへの複雑な感情を垣間見た気がした。
「もしあるなら、ぼくに返してもらえませんか?」
それからは年に数度、思い出したように確認の電話がかかってきた。
「桑田のグラブ、返してもらえましたか?」
その度に私は「返せていません」と答えるしかなかった。2人にしか分かりえない意味を持つグラブを、第三者が返していいのだろうか、と迷っていたからだ。
だから昨年の夏も、地下鉄の通路を歩きながら、これまでと同じ返答をするしかなかった。すると、清原さんは言った。
「もしあるなら、ぼくに返してもらえませんか?」
グラブは再び清原さんの元に戻った。それがどういう意味を持つのかは分からなかったが、清原さんの中で何らかの揺れがあることだけは伝わってきた。