勉強もスポーツもできて、絵を描けば国から表彰をされたことも……そんな才女の姉が、なぜ「ふがいない存在」になってしまったのか? 妹の小津ひかりさんのエピソードを、コラムニストの吉田潮さんの新刊『ふがいないきょうだいに困ってる』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「うちの姉ちゃん、子供の頃は優秀だったんだよね。勉強もできたし、サッカーやってたんだけど、全国大会で優勝したりもしてね。もう何でもできる子だったの。例えば、学校で絵を描くと、ナントカ大臣賞とかもらっちゃったりして。姉ちゃんの絵が来年度の教科書に載ります、みたいな。だから、昔は『お姉ちゃんはこんなにできるのに、あなたは……』ってよく言われた。まあ、私は遊んでばっかりいたから当然だし、それがコンプレックスとは思わなかったけど」
そう話すのは、小津ひかりさん(38歳)。2歳上の姉・あかりさん(40歳)は優等生で人気者。そんな姉がなぜ、ふがいなくなってしまったのか。
地獄のようだった母親との生活
「姉ちゃんが高校生くらいのときかな、よく泊まりに来ていた女の子がいたんだよね。母親も最初は歓迎していたんだけど、あるとき姉ちゃんが『私たち、付き合ってるの』って。そうしたら母親が『もう二度と家に来ないで』って追いはらったの。『もう気ち悪い』『女同士で付き合うなんて考えられない、一緒に食事もしたくない』って。それで姉ちゃんは激怒して、家にあんまり帰ってこなくなった。確かその後にロサンゼルスに留学したんだけど、帰国後は家を出てっちゃった。そこからは音信不通に」
そもそもひかりさんとあかりさんが子供の頃に両親は離婚。父親は亡くなり、一時期母方の家に引き取られたものの、そこで過ごした数年は地獄だったという。ひかりさんもあかりさんも多感な思春期のとき、母親が結婚を繰り返し、連れてくるのがほぼ全員、ダメ男だったそう。借金のある男、暴力を振るう男、覚醒剤使用で逮捕された男もいた。
「本当にひどかった。酒癖悪くて。暴力におびえて毎晩寝られないとか、なんかすごい、いろんなことがあったから……。私が中学生のときに、もうあいつを殺すか自分が死ぬかしかないと思ってた。包丁を持って階段上がったこともある。あの家には異父きょうだいもいたんだけど、恐怖で支配されてるみたいな家だったのね。
なんかさ、尼崎で起きた事件があったじゃない? 家族同士を疑心暗鬼に仕向けるような支配で、身内が殺し合ったりしたっていう。本当にあんな感じ。みんなおかしくなっちゃって、家の中がぐちゃぐちゃになって。耐えられなかったから、私も結構早くに家を出たんだよね」