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 あとは、2014年にウクライナ上空でマレーシア航空機が撃ち落とされた事件(マレーシア航空17便撃墜事件)。当時、ロシアの分析をしているところがあまりなかったのと、ウクライナとロシアから出てくる情報や通信をよく聞くようになって、それで興味を持った人たちが調べ始めたのが、このOSINTの爆発的人気につながったのだと思います。

当時は本職をやった後に睡眠を削って作業

――あの撃墜事件でオランダの方がたくさん亡くなりましたが、それも影響しているんでしょうか。

ミッツァー もちろんです。実際に情報を分析していた多くの方がオランダ人です。そして、個別に分析評価していた人たちが一つに集まったのがベリングキャットの始まりという形になります。

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――先ほど暇つぶしという話が出ましたが、ウクライナでの戦争が始まって以降、リスト作成で非常に多忙だったとうかがっています。忙しい時で、だいたいどのぐらいの時間をOSINT活動に費やしていましたか?

ミッツァー 本職をやった後に作業していますので、睡眠時間がかなり減りました。今は趣味を共有する知り合いが入力とかをやってくれるようになりましたので、ちょっと楽になりました。当時は本当に睡眠の時間を削りに削ってやっていました。

ミッツァー氏が日本滞在中に“鹵獲”したお菓子(OryxのTwitterより)

手の届かないところはできる人たちに任せる

――今回のウクライナの戦争で調べていて、印象的なことはありましたか?

ミッツァー 今回の戦争は、初めて全方位から調べることができるものだと思います。第二次大戦であれば前線からの情報は数日から下手すれば数ヶ月かかったものが、今では誰かがその日のうちに動画を上げて、それを見た人がジオタグを使って場所を特定してリストがアップデートされたりしました。

――ウクライナの戦争では、いくつSNSをチェックされていましたか?

ミッツァー 実際には私一人でやるには膨大過ぎるので、趣味を共有できる人たちと分担してやる形になっています。ウクライナで戦争が始まった当初は、ウクライナ在住のウクライナ人男性が、テレビとかラジオに流れてくる情報をまとめて我々に送ってくれました。そういうふうに私の手の届かないところ、特にテレビとかラジオに関してはそれができる人たちに任せて、その情報を全部取りまとめる形になっています。

 グループチャットの中で情報共有をしながら、自分たちが作っている損耗リストとかを照らし合わせます。もし情報が古いものであれば即座に破棄し、新しいものであれば、リストを改善して新しいものを出します。