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1988年、実名で出版された最初の告発本『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半世紀』の内容とは

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genre : ニュース, 芸能, 社会, 読書

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さらに北はこの『光GENJIへ』シリーズで告発を続けながら、2002年にはジャニーズ事務所と和解した形でフォーリーブスを再結成している。2012年に病気で亡くなった際には、ジャニー喜多川とメリー喜多川に対して感謝の言葉も残しているので、喜多川姉弟の責任を問う意志があったのかは、疑わしくもある。

これは岡本カウアンの会見で、彼がTwitterで「ジャニーズ事務所に訴えられました」と虚偽の投稿をしたことが指摘されたのと同じで(本人は多くの人にクリックしてもらい震災被害への寄付をする目的だったと回答)、証言に信憑性があるかということはチェックすべきだろう。

覚醒剤で捕まったが性被害の告発には誠意があった

しかし、北公次が自分にとってなんのメリットもない性被害について綴ったのは、この本の仕掛け人でもあったAV監督・村西とおるの意向もあるだろうが(村西はジャニーズ事務所と対立していた)、そこには自分のような被害者を出したくないという“一分の魂”があったからだと思われる。

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「おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう。すべてをここで書き記すことがこの書のつとめでもあるならば、あの事実を記すこともやはり避けて通ることはできない」
『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半世紀』(データハウス)

藤島社長は幼少期から合宿所のタレントと接してきた

性加害の告発という本筋からは少し逸れるが、『光GENJIへ』にはこの問題を考える上で注目すべき記述が他にもいくつかある。

まず現社長であり、ジャニー喜多川の性加害について「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした」とコメントした藤島ジュリー景子が出てくる場面。北が事務所にいた1970年代、ジュリーは就学前か小学生だったと思われるが、母親のメリーと共に合宿所に出入りしていた。北がその一室で発作的にガス自殺を図った時は、マネージャーが部屋の外からドアをこじあけようとし、大人の手ではドアの隙間に手を入れられないのでジュリーが手を入れたという。