第1次政権退陣後、どん底の心境
第1次政権退陣後、安倍の精神状態はどん底まで落ち込み、慶應病院に入院していた際には自殺の噂まで駆けめぐったほどだった。
昭恵は夫の体調を案じ、まず病室のテレビのチャンネルを切り替えたという。辞任をめぐって嫌というほど過熱する報道番組は見せないようにして、心を癒やしてくれる動物の番組が映るようにしたのだ。
昭恵は敢えて積極的に励ますこともせず、安倍が精神的に穏やかに過ごせる環境づくりに注力していた。安倍自身もゆっくりと将来を考えることができ、「そうした空気は、かえって良かった」と感謝を口にしていた。
日々の生活では、お互いに多忙で、安倍も夜はほとんど仕事の会食だった。ただ、服装のコーディネートは昭恵のアドバイスを取り入れていたようだ。
大きく影響したのは髪型だろう。第1次政権の頃は前髪を七三に分けていたが、第2次政権では前髪に軽くパーマをかけて掻き上げるスタイルになった。これも昭恵お薦めの美容室に変えたことがきっかけだった。
「離婚には反対」だった理由
東日本大震災発生から間もない2011年の3月25日、当時の自民党は野党だったが、安倍はこう語っていた。
「私と世耕(弘成)さんと一緒にトラック2台で福島に物資を提供しに行こうと思っている。パフォーマンスではないのでマスコミには内緒でね」
この頃、安倍は下着の提供もしている。「下着が足りない」という被災地の要請に従い、昭恵が友人と下着をかき集めている様子を見て、安倍も下着メーカーのワコールに連絡を入れたのだという。
昭恵は今も積極的に被災地への支援活動を行っている。「長州友の会」を結成し、カマボコやサザエなど地元山口の名産品を福島の人々に届けているのだ。夫婦で互いの活動や人脈が重なることは多くはなかったが、このように安倍は昭恵の考えを様々な場面で参考にしていた。