「みんな子供ができるんですよ。子供が幼稚園とか小学校に行くんだよ。そうするとね、書類出さないといけない。父親の職業を書かないといけない。無職って書けないんだよ。何々会社勤務って書きたいわけ。会社員って書きたいわけ。そこで堅気になるのが多かったね。ただ、刑務所を出たばかりの人たちを何とかしないといかんと。何か不便なことがあったら何でも聞いてやる、もちろん、仕事を探してやる。受刑者が幅を利かせるなんていうのは、映画ではあるけど、現実にはないんだよね」
幸太郎氏は、田岡一雄氏にもヤクザの道から足を洗うよう働きかけていたという。
「田岡にいつまでも山口組をやらせちゃいけないと。もう引退させようと。『田岡、お前理事長やれ』と。山口組は×だから。うちの親父の頭はそれしかないからね。そんなことありましたよ。それで、3日もしないうちに田岡さんが来たよ、親父のところへ。これ誰も知らないけどね。『田岡一雄としては私のために旅に出てるのが百何人います。それが帰って来たら』。帰って来るわけないよ。無期懲役もいるんだからな。こんな話はまずいね。でも本当の話なんだよ」
なぜ藤木はここまで開けっ広げに話をするのか?
藤木さんの話を聞いていると、政財界のフィクサーとされた児玉誉士夫氏や稲川会の話などが当たり前のごとく出てくる。父親を通したつながりで、戦後の裏面史に登場する人物たちと交差する。
横浜の港湾が背負ってきた時代の背景と経験が、藤木さんの力になっているのは間違いない。ただ、それは自身や港湾への誤解も生む。誤解を解消するために、開けっ広げに話をするのだろう。
先述の神奈川大学の講義を終えて、後日学生と対談した場では、こんな笑い話にしていた。
「政治家の会合で話をした時に帰ろうとしたら、おじいさんが来て、『藤木さん』『はいはい』『あなた本当に藤木さん?』『そうですよ』『あの、横浜の藤木さんて、あなた本当に藤木さん?』……。くどいんだよ、その親父が。ヤクザが来ると思ってたんだ。イメージが、ね。そうしたらこのスマートなインテリジェンスのある人が来たから、向こうはびっくりしちゃってさあ。何遍も聞くんだよ。『横浜の、あんた本当に藤木さん?』。ああ、その時に身の程を知ったね、俺は。横浜ってそう思われてるんだと思ったな」