今も港町はヤクザが仕切っているのか? 横浜市のカジノ誘致を阻止した藤木幸夫氏を描いた新刊『ハマのドン』で、彼が明かした真実は…。(全2回の1回目/続きを読む)
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ヤクザ、ミナト、そしてバクチの本当の関係
藤木さんの著書『ミナトのせがれ』は自伝だが、父親の藤木幸太郎氏の半生から始まる。生い立ち、沖仲士として苦難をいくつも乗り越え、親方となり、組の看板を掲げるまでの父親を描いている。仕事にありつけずに何度も自殺を図ろうとしたことや、手を差し伸べる人がいたこと、また弱い者を助けるその精神が綴られている。
当時の港では、博打は日常で、父親も博打打ちだった。が、その後、港から博打を断ち切っている。幸太郎氏は、全国の港湾事業者を取りまとめるまでに昇りつめ、山口組三代目組長の田岡一雄氏との交流があったことも記述されている。
今は暴力団対策法で反社会的勢力とつながりがあることは違法とされ、また、コンプライアンスが厳しい。そうした中で幸太郎氏の時代状況を今の社会が理解するのはなかなか難しい。だが、父親ら先人たちを背負う藤木さんを描く上で、港と博打、ヤクザとの関係を見つめ直すことは避けて通れない。
藤木さん自身がさまざまな場所で、「港は誤解されている」と話す。「港というのは、実像と虚像が違いすぎる。作られすぎてる。映画を見れば、刺青だの、ピストルだの、ヤクザだの、麻薬だの、虚像でいまだに満ちてるけど、コンテナ港湾のギネスブックでは、効率性のランキングでトップが横浜港だ。我々の先輩たちが、彼らがそういう港にしてくれたんです」
港湾とヤクザ。それは昔の話で、今は港湾荷役を一つの産業に育てたという自負がある。