その日だけじゃなく、別の人にもナンパをされた。歌舞伎町以外でも「顔が気に入った」とナンパしてくる人もいた。
衝撃だった。
「車椅子ユーザーはナンパされない」
勝手にそう決めつけて、偏見があったのは私のほうだったのだ。
差別よりつらいのは「知らない」で終わること
ナンパはやっぱりお断りだけど、声をかけていただくのは、とてもうれしい。
小学生や中学生に、「TikTok見ました~」「わー、ホントにみゅうちゃんだ!」なんて言ってもらうと、SNSをやっていてよかったと思う。
この間も「中1です」という2人組の女の子に声をかけられたけど、たぶんその子たちは、街なかで車椅子ユーザーに話しかけるのは初めてだったと思う。
福祉や障がいは、「知ろう」と自分で思わなければ知ることができない。
身内に障がい者がいるとか、医療関係者を目指すとかじゃなければ別世界だ。同じ世界に存在して、生きているのに。
くだらないことで笑って、好きなことをして喜んで。
くやしくて悲しんで、恋をして泣いて。
理不尽なことに怒って、それでもまた笑って。
障がいがあってもなくても、不完全なこの世界で、自分なりの役目を果たそうと、もがいている。
それなのに障がい者だけが、まるで透明人間だ。
「こんにちは」は心のバリアフリーにつながる1歩
差別や特別扱いをする以前に、「知らない」で終わっている。
それが健常者と障がい者に壁ができる大きな原因だ。
だけど、知れば、世界は変わる。
車椅子に乗っているとか障がい者とか関係なしに、声をかけてくれる。
義務感で「お手伝いしましょうか?」じゃなく、「こんにちは」って。
私も車椅子ユーザーとしてではなく、葦原海として「こんにちは」と答える。
これって心のバリアフリーにつながる1歩じゃない?
そう思えたとき、世界の中で「私の役目」を果たす、そのスタートラインに立った気がした。
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