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 その日だけじゃなく、別の人にもナンパをされた。歌舞伎町以外でも「顔が気に入った」とナンパしてくる人もいた。

 衝撃だった。

「車椅子ユーザーはナンパされない」

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 勝手にそう決めつけて、偏見があったのは私のほうだったのだ。 

モデルとして活躍する葦原海さん(『私はないものを数えない。』より/撮影=Sumiyo IDA)

差別よりつらいのは「知らない」で終わること

 ナンパはやっぱりお断りだけど、声をかけていただくのは、とてもうれしい。

 小学生や中学生に、「TikTok見ました~」「わー、ホントにみゅうちゃんだ!」なんて言ってもらうと、SNSをやっていてよかったと思う。

 この間も「中1です」という2人組の女の子に声をかけられたけど、たぶんその子たちは、街なかで車椅子ユーザーに話しかけるのは初めてだったと思う。

 福祉や障がいは、「知ろう」と自分で思わなければ知ることができない。

 身内に障がい者がいるとか、医療関係者を目指すとかじゃなければ別世界だ。同じ世界に存在して、生きているのに。

 くだらないことで笑って、好きなことをして喜んで。

 くやしくて悲しんで、恋をして泣いて。

 理不尽なことに怒って、それでもまた笑って。

 障がいがあってもなくても、不完全なこの世界で、自分なりの役目を果たそうと、もがいている。

 それなのに障がい者だけが、まるで透明人間だ。

「こんにちは」は心のバリアフリーにつながる1歩

 差別や特別扱いをする以前に、「知らない」で終わっている。

 それが健常者と障がい者に壁ができる大きな原因だ。

 だけど、知れば、世界は変わる。

 車椅子に乗っているとか障がい者とか関係なしに、声をかけてくれる。

 義務感で「お手伝いしましょうか?」じゃなく、「こんにちは」って。

 私も車椅子ユーザーとしてではなく、葦原海として「こんにちは」と答える。

 これって心のバリアフリーにつながる1歩じゃない?

 そう思えたとき、世界の中で「私の役目」を果たす、そのスタートラインに立った気がした。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。