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 この毎日新聞の記事からは悪意が滲み出ており、どんなイベントであってもその参加者を「シンパ」とでも呼ぼうものなら現在の感覚なら炎上必至だが、見出しに「身内だけの"ドンパチ"」とあるのは核心を突いた表現だ。

 この頃は一般公開と言っても、一般公募は行われていない。一般公募が始まったのは1987年に3,200人の枠が設定されてからで、それまでは自衛隊関係者、防衛産業関係者といった、あくまで限られたサークル内のイベントで、一般人が参加するには高いハードルがあった。真の意味で総火演が国民に開かれるまでには、開始から実に20年以上を要したことになる。

かつては入場チケットのチェックも甘かった

 ここからは一般参加者、報道関係者として、四半世紀に渡り総火演を見てきた筆者の視点を交えて、90年代中盤から2010年代までの総火演の変化を見ていきたい。

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 筆者が総火演を最初に見たのは1996年だった。会場に着いた時にちょうど演習が始まり、スタンド間にある入場口で急いでチケットを出そうとしたが、チェックの自衛隊員は「いいよいいよ」と確認なしですぐに入れてくれた。今だから言えるが、この頃はチケットのチェックも甘く、チケットなしでも普通に入れるだろうと子供心に思ったものだし、実際チケットなしの入場者もいただろう。良くも悪くもおおらかな時代だったと思う。

 翌年、1997年の総火演では御殿場駅から会場まで運ぶシャトルバスの始発に乗ったが、バスはガラガラで空席が目立っていた。会場に到着してからは、労せずシート席の最前列を確保できた。演習開始時には結構な混み具合になったが、それでもまだ牧歌的な雰囲気であった。

 こんな状況が変わったのは、2000年代に入ってからだと思う。2008年に見学した際は、開場前には既に多くの一般客がスタンド外側にたむろしていた。シャトルバス始発前でも、会場周辺にはタクシーや車がひっきりなしに客を降ろし、良席を巡る争奪戦が始まっていた。牧歌的な雰囲気は失われていた。

2008年のバス降車場

 観客のマナーも悪化しており、2008年には開場前に立入禁止のテープが張られているにも関わらず、会場内に侵入して良席を確保する参加者を大勢見かけた。

 あまりの多さに自衛官が「受付業務も開門もしていませんので、本来は出ていかなければいけないが、これだけの人数がおりますので」とアナウンスして追認する形になり、ルールを守って並んでいた組からは怨嗟の声が飛んだ。筆者は15年経った今でも、開場前侵入組が不幸になるよう願っている。

2008年の総火演。開場前に侵入する一般客