陸上自衛隊の演習で、公開イベントとしても高い人気を誇っていた富士総合火力演習(総火演)は、コロナ禍で2020年から一般参加を取りやめネット配信になっていた。2023年になってコロナ関連の規制はだいぶ緩和されたが、一般参加を復活させることなくそのままフェードアウトする方針が今年3月に示された。最後に一般公開が行われた2019年は、約24,000人も来場者があった大イベントだっただけに、この決定は大きく報道されている。
陸上幕僚監部はプレスリリースの中で、「我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しく複雑になる中、防衛力を抜本的に強化していく必要があることを踏まえ、部隊の人的資源を本来の目的である教育訓練に注力するため」とその理由を説明している。
本稿では、総火演の60年の歩みを振り返り、その「本来の目的」と変容、そして本来の目的に立ち返った総火演の様子についてお伝えしたい。
もともとは教育目的で開催される「知る人ぞ知るイベント」
総火演はもともと、1961年に総合展示演習として始まった。演習の目的は、陸上自衛隊の教育機関である富士学校が、各学校の生徒に現代戦の火力戦闘様相を認識させることを目的としていた。教育目的で見られることを前提とした演習であることは現在まで一貫している。
当初は自衛隊関係者に限定していた総合展示演習は、1966年に自衛隊の現状を国民に広く知ってもらうことを目的に一般公開が行われるようになり、1972年に富士総合火力演習と名称が改められた。もともと教育目的で始まった演習だったが、後に国民の自衛隊理解も目的に加わったことになる。
しかし、一般公開が始まってしばらくの総火演は、知る人ぞ知るイベントに過ぎなかった。一般公開が始まって10回目の総火演について、1975年9月4日の毎日新聞夕刊は次の通り伝えている。
ひそかにでもなく、さりとて、大宣伝するわけでもなく、三日午後、陸上自衛隊恒例の「富士総合火力演習」が、静岡県・東富士演習場で行われた。実弾三十三トンをバンバンぶち込んでの公開演習。シュレジンジャー米国防長官の来日などで、防衛問題がまた論議を呼んでいるとき、シンパや関係者の前で、戦力を見せて、その人々の拍手を浴びた。「反対」などという気分をこわす声は届かない身内だけの演習会場。会場では、戦闘状況の説明がスピーカーで流されたが「勝った、勝った、また勝った」の熱狂的かつ我田引水的説明が冷笑をさそったりした。