文春オンライン

日本が“同調しなければ生きていけない社会”になっている問題について

2023/06/13
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企業という「村社会」にいかに同調できるか

 私はいくつかの大企業でサラリーマンを経験したが、突出した能力(私が持っていたかどうかは不明だが)を発揮することよりも、企業という「村社会」にいかに同調できるかがまずは求められたような気がする。社内では同僚や同期生とは争うことはなく(実は水面下ではあるのだろうが)決してそれを表に出さないことが出世するコツであることは、大企業を辞めて外から見て気づいたことだ。

 いたずらに職場で言い争いをしても仕方がない。上司には忠実に、会社の命令には従順にしていることは、毎日の些細な愚痴や文句は別として、組織というゆりかごの中にしっかりと身を置く安心を自らに求めているともいえるのだ。

「いいね」を押すだけで仲間に

 このことを世の中に置き換えてみるとさらにその像は鮮明になる。社会と同調、同期化するためには涙ぐましい努力が必要だ。みんなが「いいね」といった飲食店には必ず行ってみることだ。飲み会のお店を予約する幹事は、まずはSNS上で、星の数が多いところを血眼になって検索する。★の多いお店を予約さえしていれば、たとえそのお店の味がイマイチだったとしても、それほど文句を言われることがないからだ。だってそれほどの食通がメンバーにいるわけでもないのだから無難に選択するのはSNSでの評価だ。友達との集まりや異性とのデートにおいても全く同様の行動をとることが未然に事故を防ぐことになる。

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写真はイメージ ©iStock.com

 ましてや芸能人が通っているだとか、料理人がYouTubeで人気だなどといった特典があればもはや、その店の雰囲気やそもそもの味の好みなどといったものはどうでもよいことになる。いっしょになって「いいね」を押すだけでみんなの仲間として認知されるからだ。行列ができる飲食店に自分も並ぶことで世の中の多くの人が支持していることと同じように行動していることに安心を得ているのである。